「思考停止」のGoToキャンペーン。感染対策は、ない。2020年07月18日 10:42

「認知の歪み」というキーワードを使って、人の非効率的な言動を修正しようという認知療法ですが、実は根本的なところに誤りがあります。元々は、A.コージブスキーによる「一般意味論」の内容をほぼそのまま取り入れて提起された「論理療法・論理情動療法」から展開して「認知療法」が出てきたのですが、次のような混乱が起きてしまいました―。

一般意味論⇒
 人類一般の認識には本質的に(認知システム内に)誤りが組み込まれている。

認知療法⇒
 心理的な問題を抱える人たちには「認知の歪み」があるので、それを修正しよう。

つまり、臨床心理士の方などが「あなたには認知の歪みがあります」という言い方は全く不正確であって、まずは「私たち人類にはどうしようもない認知の歪みがあります」と言わなくてはいけない―ということです。
 「人間の認識上の歪み」の問題を相談相手の個人的な問題へとすり替えてしまっている…というところに本質的なズレがあります。

 一般意味論は1933年に出版された『科学と正気 Science and Sanity』によって、その基本が説かれたのですが、その本は大著であり、また内容は論理学から集合論の陥穽、そして相対性理論まで網羅する内容だったため (翻訳を試みていた先生はおられますが…) 出版を引き受ける出版社はなく、日本語で部分的に紹介する本が出版されただけで時代が過ぎ去ってしまいました。実に残念なことでした。

 人間の認識について、よく知られていることとしてはソクラテスの「無知の知」ということが挙げられます。「自分がそのことを知らないで居る、という事実に気がついて、知らないままであることに気がついている」といった意味です。哲学の出発点のように紹介される、基本的な事柄だといえます。
 「思考の出発点…」ということについて考えると、それは様々ですが、その際、ほとんど見落とされることがあり驚愕することになります。それは、「出発点…」はともかくして、さて、それでは「その出発点」となったポイントの一つ前にさかのぼることについては、その可能性を含めて「無知のまま放置されている」という事実です。
 よく知られている例を挙げてみます。「基準」とは何か―です。「何々は重い」といった普通の文章でもそうですが、「重い」と判断する基準があったわけです。しかし、その基準は暗黙のうちに使われて文章として表出されて「…重いのだ…」ということになりますが、「一体、何を基準として重い」と言ったのかが不明のまま放置されています。
 「基準」についてはさらに恐ろしいことが起きてしまいます。「それを重いとした基準が分かったとして」「その基準が正しいモノとして選ばれた、その際の基準は何だったのか…」ということになります。
 普通の人はこの段階で意識を失うか、別のことへ意識を切り替えて問題を素通りすることで、日常生活を続けることになります。
 「…を基準とするためには、それを基準として妥当だと判定出来るような、より基本的な別の基準が必要となり、…さらにそれを基準とするためには、さらにさらにそれを判断する別の基準が必要となり…」という訳で、無限遡及(むげんそきゅう:かぎりなくさかのぼる)に至るわけですね。

 このブログは「テツガクの場」でも何でもないのですが、非常に大事なことは「思考停止」つまり、それ以上にさかのぼらない…という意味で、「思考の出発点が存在して、それと同時に、それより先には遡らないという思考の限界点が存在する」ことに共感してもらえればと思います。

 残念ながら私は、コロナ禍の中で蠢く政治の世界の魑魅魍魎に関わり合う関係はないので、とりあえずは外野席から眺めているに過ぎません。その外野席から見えてきたことの一つが「PCR検査を拡充しない」という政府の思考停止状態でした
 これは元々、検査の精度に関わり、どうしても偽陰性すなわち、本当は陽性なのに「罹っていない」というエラーが一定の割合で出てしまう懸念から出発していました。
 ただし、この偽陰性などは確率の数値できちんと計算できるので、計算されるリスクという意味では分かりやすい事柄でした。しかし、PCR検査に伴う実際的な困難の数々― 1)本当は罹っているのに間違って陰性となる偽陰性の問題がある、 2)検査者が飛沫感染の危険にさらされる、 3)手作業なので作業が困難 (本当は専門的な機械で正確にかつ感染の可能性なく検査できるのですが、この事実はなかったことにされています)、 4)検査には10数時間かかる (これも様々な新しい方法では1時間とか可能)、 5)検査で陽性になっても受け入れる病床・病院が限られている―。
 こうしたことから「PCR検査はすべきではない」という暗黙の姿勢ができあがりました。国際的には見ても世界中から「!?」という驚愕を招くことになりました。また、抗原検査にしても抗体検査にしてもやはり疑陽性・偽陰性の割合が低くはないことから、政府としては「検査精度に問題があり信用ならぬから使用しない!」となって推移しています。

 こうした実績から推測してみると、「PCR検査を行わないでおけば、崩壊直前の貧弱な医療体制がとりあえず壊れず政府の体面が保たれる」という政略的な姿勢が基本にあった、ということも考えられます。

 いずれにしても、政府として国策として感染対策を増強することはなく、せいぜい、各都道府県の知事達に現場で頑張らせておけば良い…ということになってしまいました。
 このため「偽陰性の問題を確率的にきちんと把握しながら、感染対策を打ち出していく…」という姿勢が打ち捨てられました。そして突如として「観光に金をばらまいて、観光関係領域が経済的に生き延びられるようにする」という施策=GoToキャンペーンが登場したわけです。466億円かけたアホノマスクと似たパターンです。
 これには、抗原検査で陽性の人はJRなどの駅や空港で「ダメです」と拒否されることもなく、検査に関わる経費など拡充して防御をすることもなく、ただただ「感染を恐れず行け!GoToトラベル!」という、肉弾三勇士状態でスタートしました。重ね重ねの「思考停止」状況です…。というわけで、むかしの古い話と全く同じ構造になっていることにあらためて驚き呆れます。

この「全員突撃」を日露戦争の例で見てみましょう。当時、ロシアは連発発射できる機関銃(ロシア軍マキシム機関銃)を203高地に設置して、日本陸軍歩兵部隊が突撃してくるのを阻止しようとしていました。
 当時の大日本帝国陸軍は、元込め単発発射の銃を歩兵に持たせ「全員突撃!」の号令のもと、多数の歩兵が機関銃に向かって進み、あっさり撃たれ続けて「名誉の戦死」をさせられました。同じような場面は第二次世界大戦でも繰り返されています。
 死ぬのはお前の責任で、陸軍は関知しない…。旅行に出かけ、あるいは旅行者を受け入れて、新型コロナウイルスに罹って苦しむのはお前の責任であり、当局(国交省)は一切関知しない…。感染の危険について「思考停止」の無責任体制という点では同根の状態で、実に気持ちの悪い形で「歴史は繰り返す」のです…。

6/29月 退院1037人,治療中196名!昼カラオケ感染はなぜ北海道だけ?2020年06月30日 09:46

6/22月 感染1182人,退院994人,治療中188名
6/23火 感染1183人,退院1003人,治療中180名
6/24水 感染1183人,退院1011人,治療中172名
6/25木 感染1199人,退院1015人,治療中184名
6/26金 感染1204人,退院1027人,治療中177名
6/27土 感染1205人,退院1031人,治療中174名 (図)
6/28日 感染1222人,退院1037人,治療中185名
6/29月 感染1233人,退院1037人,治療中196名!
* 北海道の感染状況。
これまでの死亡者99人 (北海道新聞朝刊から)

北海道は入院治療者数が増えてまた200人に戻りそうな勢いです。かなり残念です。それにしても、昼カラオケは全国各地にあるのに、なぜ北海道だけで発生?というところ。なお、高齢者施設での新たな感染クラスターでは、外部からディケア利用者が関わっている模様です。

 以下はまったく個人的な印象に過ぎませんが、北海道の人(特に中高年)は全体的におおらかな感じで、少し言い過ぎとしまうと世界的に見てもかなり「お人好し」度が高いようです。つまり、原理原則に厳しくなく、しぶとく利害にしがみついたりしない…といった傾向です。言ってみれば、「寝首を掻く(ねくびをかく)」方ではなく、ぼやぼやして寝ている間に首を取られる側ですね。
 若い時分に泊めてもらったアメリカインディアンの居留地、そこの人たちにも似たような感じをもった記憶があります。優しいというか大らかというか…。アメリカ大陸の先住民、インディアンの人たちは、ヨーロッパから入ってきた白人達によって駆逐され、貧しい土地(居留地)に追いやられた悲しい歴史があります。北海道の場合は、和人(シャモ)によってアイヌの人たちも追いやられるという同様の歴史がありました。いずれにしても、厳しい自然の中で生活していた狩猟採取の先住民は、食べられなかったりする脆弱な生き物同士として、ある種の寛容さをもってしまっている…そんな風に感じています。
 小樽の昼カラオケによる感染クラスターは、そうした観点とは少し異なりますが、明治時代に食い扶持を求めて日本各地から流入してきた多種多様な入植者達と流れ者達(少なくとも私の父の父がそうでした)、そして、その子孫に培われてきた「北海道民の大らかさ」(断念の結果、ボヤーと生きている?!)…それが裏目に出たのではと思っています。こうした感想は当事者ならではのことで、これをブンカジンとかユウシキシャとかに語られると腹が立つ訳ですが、リスクをかかえている高齢者としてあらためて気をつけなければと自戒しています。

ネーミング・名付け― 特徴だとしてそれを言葉にすること2020年06月27日 09:37

6/24に接触確認アプリのネーミングの悪口を書きました。たまには悪口の一つも言っておかないと…というところです(^_^v。
 正確に言えば、「実態とつながらない名称・ネーミングは認識を歪める」からで、理屈としては一般意味論ならびに多元的現実論に基づく判断です。まっ、それはそれとして…。
 「E電」…。イーデンと読みますが、アグネスチャンとか小林亜星などが委員となって決めたのでした―東京の山手線などを「E電」と呼ぶと。iPXXとか「i」が付く名前が増えたように、「e何とか」のノリと一緒の発想でした。しかし、思えば「電気ブラン(デンキブラン)」という名称の酒は明治とかです。古い話の蒸し返しで「E電」と聞いて思わず鼻白みました。(はなじろむ…とはどういう鼻の状態か…これはまた別の話題「慣用表現の怪」)。

 プロ野球も再開しましたが、ファイターズの現在の本拠地である札幌ドーム、かつて名称を公募して選ばれたのが「ヒロバ」とかです。誰も使わないうちに消え去りホッとしたものです。札幌駅から大通公園に向かう地下歩行空間(少し広いので「空間」として威張った感じがあります)、これも名称を公募して「チカホ」となりました。若者が普通に言いそうな言葉なので、まあそれで良いのかもしれません。
 それにしても、最悪は学者先生様達の名付けです。あの美味なるウニ・ガンゼを何と「馬糞雲丹(バフンウニ)」―。芳香がかぐわしい初夏のアカシアを何と「ニセアカシア」と命名されたのです。せめて丸雲丹とか、キタアカシアと名付けられなかったのかー。骨粗鬆症(こつそしょうしょう)もその手の名称ですね、せめて骨少々とか…失礼。
 そうした愚かしい批判はともかく、名前の付け方で現実が変わる・動くという社会学的な実態があること、名称に基づいて人は行動するという心理学的実態があるため、名称・呼び方には注意しないといけないと思っています。
 名前を与えると差異化されます。他の何かや誰かと違うことを社会的に公言したことになるからです。(社会的な有徴化)
 NHKの言葉狩り―、いわゆる差別的表現を使わないということで「言葉の世界を貧困化する」と批判されますが、公共放送らしいので、悪意の解釈につながらないような警戒感があることだけは良い点だと思います。
 以前、古い建物だった時代の札幌「コンカリーニョ」にて、古典落語を聞きました。身体的な障害に関わる放送禁止用語の三名だったかが互いに相手の弱みを助け合いながら旅をする…という内容でした。差別的とされる禁止用語で語られる古典落語の凄味が骨身に染みた記憶があります。
 ずいぶん前に亡くなりましたが、私が小さい頃に世話をしてくれた、背中が曲がった叔母のことを思い出していました。子どもの無邪気さで「あのね、セ×シと言うんだよ」と言おうとした途端に母の目配せを感じて、口を噤んだ(つぐんだ)のでした…。遠く重い記憶です。

6/18木 退院971人,治療中201名。いよいよ200名を切るか…治療中人数。2020年06月19日 14:02

6/10水 感染1120人,退院904人,治療中216名
6/11木 感染1127人,退院914人,治療中213名
6/12金 感染1137人,退院926人,治療中211名 (図)
6/13土 感染1145人,退院933人,治療中212名
6/14日 (休刊のためデータなし)
6/15月 感染1159人,退院942人,治療中217名
6/16火 感染1161人,退院953人,治療中208名
6/17水 感染1167人,退院960人,治療中207名
6/18木 感染1172人,退院971人,治療中201名
* 北海道の感染状況。
これまでの死亡者93人 (北海道新聞朝刊から)


全国的な移動規制解除、その初日―。都道府県越えの移動開始です。飛行機も新幹線も。さらに自己防衛しなければっ。
 コロナ関係ではないですが、私の周りで体調不良から病院と関わる流れが起きていて、少し困惑しています。気温も低く天候不順もあるようですが、ユングの言う「非因果的共時性」―。相互に因果的な関係はないけれども、複数の事態がシンクロして起きてしまうこと…。周りの物事がなぜか慌ただしくなってきています。昔だったら祈祷師を呼んで祈る…。結局の所、今でもそれくらいしかできないかもしれませんね。クワバラ、クワバラ。道真公の怒りの雷神を遠ざける…。

免疫ということ―『新しい免疫入門』を読みましたよ2020年06月02日 07:14

 5/22のブログに、『免疫革命』(講談社α文庫, 安保徹 著)を読んだ感想を書きました。ずいぶん刺激を受けて、コロナ禍の最中、もう少し読んでみたいと思いましたが、さすがにいろいろな本が出ていて迷いました。
 2冊目として読んだのは『新しい免疫入門― 自然免疫から自然炎症まで』2014年、審良静夫/黒崎知博 (講談社ブルーバックス)でした。サイトに書かれているコメントを見ると「難解…」「新しい…」というのを見て少し挑戦!というところ。『免疫革命』は2003年初版なので、それから11年後に出された内容は?!という関心がありましたが、免疫の世界が一挙に難解な世界に突入したことが分かりました。
 内容についてはあらためて書くことにして、一番印象的だったことは、免疫の世界の多層性とかなりの複雑さと曖昧さでした。「何々を食べたら良い…」「何々をしたら良い…」という単発的な思いにはまったく寄り添わないほどで、それなりの頻度で「…まだ不明」「これからの課題」というように出てきます。「免疫と炎症」はホットな話題ですが、複雑すぎてその研究成果は「これから…」。著者は世界に先駆けた研究をしていたのにタッチの差でノーベル賞を逃したようですが、本の中身はそれなり分かりやすく書いてくれていました。ブルーバックス…想像以上にレベルが高かったです。
 読んでいてつくづくと思ったのは、話題が変わってしまいますが、免疫システムの底知れないほどの奥行きにまったく似つかわしくないほどに貧弱な人間の思考能力のことでした。
 ヒトの思考は基本的に「二値的」です。アメリカのトランプ大統領は、80%ほどのアメリカ人から「人種差別者」と認識されているようですが、それとともに、物事を二値的にのみ捉えて行動する単純さが目につきます。古典的な研究では、「人間が当初認識できる(カテゴリー数)は、7プラスマイナス2」と知られていて、たかだか七つくらいの区分けでしか思考できない、というお話しです(あ、確か蔵書…)。虹の七色、世界の七不思議、七つの海…といった7・セブンという数字の意味が、人間が当初処理できる情報量の上限の研究から分かった、というものでした。
  さらに、行動するときは、「するか・しないか」という二値になるので致し方ないですが、現実は数十とか数百とかの要因によって構成されるので「行動も思考も、必ず事実世界とずれる」…。さらに思考能力の低さのせいで、世界の真理を理解する能力に乏しい…。相対性理論が説くような時間の相対性やら、集合論にあるような自己言及的パラドックス「私は嘘つき…という命題の真偽は確定できないこと」(エピメニデスのパラドックス)とかの本質的な話に行くかなり手前で、ヒトは「言葉の二値性」にやられてしまう情けなさです。二値的思考である人間の限界を指摘した『一般意味論』(A.コージブスキー)では、「敵?・味方?」に分かれて殺し合い、総計で900万人ほどが戦死した第一次世界大戦の愚かしさへの挑戦でもありました。…閑話休題と書くとすると、このブログ全部が―!。
 安保徹の免疫の四つの指標の中にある「笑い」、たぶん、私たちがすべきことはしっかりと笑いながらも、その後にでも「笑っている場合では無い!」と喜怒哀楽…喜び怒り悲しみ和む…といった諸相をきちんと生きることなのでしょうね。
 「人間だけが笑う能力を持っているのである」「…笑われるような生き物は人間だけ…」という古い言い回し。しかし、最近は『残念な生き物』という具合に動物まで笑ってしまおうという人間様の放漫さは、意外に可愛いものかもしれません。人類の終末としては、AIによる人類殲滅(ターミネーター的視点)ないし選抜、温暖化による環境破壊、暴走資本主義による世界破綻くらいかな―と思っていたら、2020年、新型コロナウィルスによる大打撃が起きました。人類史的には面白く怖い時代に生きることになりましたねえ。

「寺子屋 心理学」講座ー。6月から開始します。2020年05月30日 07:04

⇒ 「寺子屋 心理学」講座 はこちら。

4月から開始予定だった心理学、心理統計学などの勉強する「寺子屋 心理学」講座を6月から始めます。新型コロナウイルスのあおりを受け、ずーっと準備中でした。やれやれ、というところです。
 コロナ禍のブログを連日書いていたので、ブログがメインになっていますが、それはそれで…(^_^v

なお、「心理学と統計」の「確率小屋」は、5月からオンラインでの解説を始めています。関心のある方はお尋ね下さい。(会場は札幌ですが、オンラインでの実施も予定しています)
 ※「カクリツ小屋」…という名称はアヤシイ感じですが、心理学における統計学や確率の話自体にアヤシイ所があるため、です。