8/06木 感染+11,治療中223。東京360人感染そして「特別な夏…」2020年08月07日 22:41

7/30木 感染1394人,退院1218人,治療中176名
7/31金 感染1409人,退院1224人,治療中185名
8/01土 感染1427人,退院1228人,治療中199名
8/02日 感染1436人,退院1233人,治療中203名! (図)
8/03月 感染1459人,退院1242人,治療中217名!
8/04火 感染1470人,退院1244人,治療中226名!
8/05水 感染1484人,退院1254人,治療中230名!
8/06木 感染1495人,退院1272人,治療中223名
* 北海道の感染状況。
これまでの死亡者103人 (北海道新聞朝刊から)
連日、東京以外の都市も感染増が続いています。東京都知事は「特別な夏…」と言い、「三密とかを気をつけてねー」と言うだけ。あちこちの知事が自主的に「非常事態」を唱えるのみ。医学や検査が進んでいる時代に、結局は三月初めの緊急事態と変わらない対策のままでGoToキャンパーンに走り、発症してもPCR検査も受けられず、お盆を待たずにこの有様です。やれやれ。

私の使い捨てマスクですが、帰宅後、アルコール系消毒剤を両面にスプレーして干しています。数日乾かしてから複数回、再使用しています。見ると耳掛ヒモとマスクの下側が随分汚れていました。付けたり、はずしたりで手の汚れがついたようです。

サイゼリアでしたか、マスクしたまま食べられます…マスクを開発とのこと。外食業界、再興となるか…。
 なるほどー。着用しているマスクの口のあたりの部分を半分くらい上に折り曲げて鼻の上に掛けておく。すると、口が解放されて食べられる・飲める。その際、上に折り上げたところにキッチンペーパー的な紙をはさんで、そこから下に垂らしておく…。すると確かにマスクをしたまま、食べられます・飲めますーでした。吐息はとりあえず紙で止まります。いちいちはずすと手の汚れがヒモやマスクに付くわけですが、そういう汚れは少しは減らせる…。私は外食はしないし、いかにも格好悪いやり方ですが、外で試してみるかっ。

「施設に居る高齢母の黒バナナ」 続きですー。2020年08月01日 12:10

長年オランダに住む知人(男性)から、私の高齢の母の黒バナナについて反応がありました―。ありがとさんです!
黒いバナナ・・・うちの母も同じような事がありました。
もう賞味期限どころではなく、いつの何かわからないカビの塊とか・・当時はまだしかっりしていてそれでしたから。
所長に言われてヘルパーさん頼んで掃除してもらいました。

今は介護付きなので、冷蔵庫もお金もないので給食以外何も食べるものはありません。本人は少し寂しいと思いますけど。
母の施設は富山の田舎感覚がかなり鋭くて、電話でこの夏の状況を尋ねていたら、
「息子さん、戻られるときは(到着空港の)東京で2週間、その後富山に来て2週間、
計4週間隔離してから、もし面会ができる状況であれば、5分くらいの面会が可能になります!! 今は絶対無理ですからね!!!」 と。

この施設は今でもまだ面会謝絶で富山県内でも意見が分かれているような様子です。お盆も年内も今年は完全無理。来年の夏ごろに会えるかどうか?

それまで母が持ちこたえられたらの話です。なんだかむなしいです。
まだ会えるだけ幸せかなと思いながらブログを読んでいます。

…すごい差別待遇ですね。ウィルス感染扱い…。さらに面会時間が5分間というのはあまりにも短いです。それにしても、これまで読んだ新聞記事などからは、介護施設などの感染クラスターの多くは長い時間施設にいる「職員・出入り業者」からとなっていて、家族のようにたまに来て短時間で帰る状況からの感染はかなり少なかったはずです。(もちろん、それも大きなリスクですけれど)
いずれにしても、母の認知失調がまだひどくない内に会えているのは、有り難いことだと、いただいたコメントからあらためて思いました。

高齢の母の黒バナナ…。2020年07月30日 07:32

最近、施設にいる高齢の母が不調です。すでに定年退職済みの兄弟二人で交互に施設に寄って老老介護ゴッコです。
先日、冷蔵庫を覗いたら真っ黒くなったバナナ2本を発見。そのまま自宅に持ち帰りました。たぶん、一週間以上も前に持参した一房の残りもののはずで、「まだ食べられるだろう…」と食してみました。


皮は少し萎びているのに、皮のスジがしっかり張ったままで、皮がすぐに剥けない!端をはさみで切り落として黒バナナの皮をむくと、本体は普通のバナナ色。そっと口にふくむと、かなり熟した味でそれなりに食べられる。そのまま食べ進むと中身はまだ青い感じの味が残っていました。10日以上も前に持参したバナナの残りかな…。頑張って1本は完食!もう1本は真っ黒い色に気持ちも暗くなり、そっと廃棄…。
最近の母は、冷蔵庫の中を見ないくらい生活がなくなりつつあり、少し悲しい味でした。

「思考停止」のGoToキャンペーン。感染対策は、ない。2020年07月18日 10:42

「認知の歪み」というキーワードを使って、人の非効率的な言動を修正しようという認知療法ですが、実は根本的なところに誤りがあります。元々は、A.コージブスキーによる「一般意味論」の内容をほぼそのまま取り入れて提起された「論理療法・論理情動療法」から展開して「認知療法」が出てきたのですが、次のような混乱が起きてしまいました―。

一般意味論⇒
 人類一般の認識には本質的に(認知システム内に)誤りが組み込まれている。

認知療法⇒
 心理的な問題を抱える人たちには「認知の歪み」があるので、それを修正しよう。

つまり、臨床心理士の方などが「あなたには認知の歪みがあります」という言い方は全く不正確であって、まずは「私たち人類にはどうしようもない認知の歪みがあります」と言わなくてはいけない―ということです。
 「人間の認識上の歪み」の問題を相談相手の個人的な問題へとすり替えてしまっている…というところに本質的なズレがあります。

 一般意味論は1933年に出版された『科学と正気 Science and Sanity』によって、その基本が説かれたのですが、その本は大著であり、また内容は論理学から集合論の陥穽、そして相対性理論まで網羅する内容だったため (翻訳を試みていた先生はおられますが…) 出版を引き受ける出版社はなく、日本語で部分的に紹介する本が出版されただけで時代が過ぎ去ってしまいました。実に残念なことでした。

 人間の認識について、よく知られていることとしてはソクラテスの「無知の知」ということが挙げられます。「自分がそのことを知らないで居る、という事実に気がついて、知らないままであることに気がついている」といった意味です。哲学の出発点のように紹介される、基本的な事柄だといえます。
 「思考の出発点…」ということについて考えると、それは様々ですが、その際、ほとんど見落とされることがあり驚愕することになります。それは、「出発点…」はともかくして、さて、それでは「その出発点」となったポイントの一つ前にさかのぼることについては、その可能性を含めて「無知のまま放置されている」という事実です。
 よく知られている例を挙げてみます。「基準」とは何か―です。「何々は重い」といった普通の文章でもそうですが、「重い」と判断する基準があったわけです。しかし、その基準は暗黙のうちに使われて文章として表出されて「…重いのだ…」ということになりますが、「一体、何を基準として重い」と言ったのかが不明のまま放置されています。
 「基準」についてはさらに恐ろしいことが起きてしまいます。「それを重いとした基準が分かったとして」「その基準が正しいモノとして選ばれた、その際の基準は何だったのか…」ということになります。
 普通の人はこの段階で意識を失うか、別のことへ意識を切り替えて問題を素通りすることで、日常生活を続けることになります。
 「…を基準とするためには、それを基準として妥当だと判定出来るような、より基本的な別の基準が必要となり、…さらにそれを基準とするためには、さらにさらにそれを判断する別の基準が必要となり…」という訳で、無限遡及(むげんそきゅう:かぎりなくさかのぼる)に至るわけですね。

 このブログは「テツガクの場」でも何でもないのですが、非常に大事なことは「思考停止」つまり、それ以上にさかのぼらない…という意味で、「思考の出発点が存在して、それと同時に、それより先には遡らないという思考の限界点が存在する」ことに共感してもらえればと思います。

 残念ながら私は、コロナ禍の中で蠢く政治の世界の魑魅魍魎に関わり合う関係はないので、とりあえずは外野席から眺めているに過ぎません。その外野席から見えてきたことの一つが「PCR検査を拡充しない」という政府の思考停止状態でした
 これは元々、検査の精度に関わり、どうしても偽陰性すなわち、本当は陽性なのに「罹っていない」というエラーが一定の割合で出てしまう懸念から出発していました。
 ただし、この偽陰性などは確率の数値できちんと計算できるので、計算されるリスクという意味では分かりやすい事柄でした。しかし、PCR検査に伴う実際的な困難の数々― 1)本当は罹っているのに間違って陰性となる偽陰性の問題がある、 2)検査者が飛沫感染の危険にさらされる、 3)手作業なので作業が困難 (本当は専門的な機械で正確にかつ感染の可能性なく検査できるのですが、この事実はなかったことにされています)、 4)検査には10数時間かかる (これも様々な新しい方法では1時間とか可能)、 5)検査で陽性になっても受け入れる病床・病院が限られている―。
 こうしたことから「PCR検査はすべきではない」という暗黙の姿勢ができあがりました。国際的には見ても世界中から「!?」という驚愕を招くことになりました。また、抗原検査にしても抗体検査にしてもやはり疑陽性・偽陰性の割合が低くはないことから、政府としては「検査精度に問題があり信用ならぬから使用しない!」となって推移しています。

 こうした実績から推測してみると、「PCR検査を行わないでおけば、崩壊直前の貧弱な医療体制がとりあえず壊れず政府の体面が保たれる」という政略的な姿勢が基本にあった、ということも考えられます。

 いずれにしても、政府として国策として感染対策を増強することはなく、せいぜい、各都道府県の知事達に現場で頑張らせておけば良い…ということになってしまいました。
 このため「偽陰性の問題を確率的にきちんと把握しながら、感染対策を打ち出していく…」という姿勢が打ち捨てられました。そして突如として「観光に金をばらまいて、観光関係領域が経済的に生き延びられるようにする」という施策=GoToキャンペーンが登場したわけです。466億円かけたアホノマスクと似たパターンです。
 これには、抗原検査で陽性の人はJRなどの駅や空港で「ダメです」と拒否されることもなく、検査に関わる経費など拡充して防御をすることもなく、ただただ「感染を恐れず行け!GoToトラベル!」という、肉弾三勇士状態でスタートしました。重ね重ねの「思考停止」状況です…。というわけで、むかしの古い話と全く同じ構造になっていることにあらためて驚き呆れます。

この「全員突撃」を日露戦争の例で見てみましょう。当時、ロシアは連発発射できる機関銃(ロシア軍マキシム機関銃)を203高地に設置して、日本陸軍歩兵部隊が突撃してくるのを阻止しようとしていました。
 当時の大日本帝国陸軍は、元込め単発発射の銃を歩兵に持たせ「全員突撃!」の号令のもと、多数の歩兵が機関銃に向かって進み、あっさり撃たれ続けて「名誉の戦死」をさせられました。同じような場面は第二次世界大戦でも繰り返されています。
 死ぬのはお前の責任で、陸軍は関知しない…。旅行に出かけ、あるいは旅行者を受け入れて、新型コロナウイルスに罹って苦しむのはお前の責任であり、当局(国交省)は一切関知しない…。感染の危険について「思考停止」の無責任体制という点では同根の状態で、実に気持ちの悪い形で「歴史は繰り返す」のです…。

札幌市内、中央分離帯のラベンダーが満開です2020年07月13日 17:04

札幌市内あちこちにラベンダーが咲いています。道路の中央分離帯で満開です。たまに良い香りがします―。

 信号で停止したときに撮影しました。

「エゾマルハナバチ」と覚えていましたが、正確には「エゾ・オオマルハナバチ」でした。今の時期、ラベンダーなどの回りでブンブン言っています。「セイヨウ・オオマルハナバチ」の方が、みつばちハッチのように黄色いスジが目立ちます。まん丸いハチがそばに寄ってきたら、風で揺らぐ小枝か花の茎のようにのんびり払うと「…これは、花ではないな…」と離れていきます。


ムラサキ色の花と枯れた茎が対照的で、風にたなびきます。

一輪だけまん丸で、今にも咲くところ。

健康そうに咲いている黄色の花たちです。ここにもマルハナバチ君がよく来ています。



コロナ禍― 遠くなる記憶をブログに書いておく2020年07月10日 13:33

2月、3月の雪まつり、冬祭りあたりから北海道は感染拡大しました。ちょうど定年退職直前の冬の終わり頃でした。何とはなしに、コロナ禍の記録を個人的に残しておこうと思っていました。阪神淡路大震災があったときに初めてPTSDという言葉が登場してきました。東日本大震災のときに原発爆発事故が起きましたが、数年もしないうちに記憶が風化していきました。「原発は安全で事故の可能性は数万年に一回…」と長年吹聴されていましたが、スリーマイル島原発事故、チェルノブイリ原発事故、そして二つの原発が水素爆発した福島原発…。20-30年に一回と高い頻度で過酷事故が起きています。すべて人災…。しかし、記憶は風化…。自家発電もあり、異なる5系統からの電源供給があるので「絶対に停電しない」と宣っていた福島原発でしたが…。
 スリーマイル島原発事故のときに現地に入った日本人が記録を残しています―事故直後、現地の人たちが口々に「口の中が金気くさい味がした…」。こういう記録は歴史の中にどんどんと消えていきます。
 このASAHIネットのブログがどの程度続くシステムなのかは不明ですが、年と共に自分の記憶も怪しくなることが気になり、今のコロナ禍について書いておくことにしました。自分のブログをパソコンに残しておいて、後で読めるようにするつもりです。
 サイトの記事は凄まじい勢いで提示されてすぐに消えていきます。10年以上も経過して後から探すことができるのは、本や書類等に刻印された事柄だけで、それ以外はサイトで検索しても出てこなくなります。
 昔、レーザーディスクという大きなレコードサイズの動画ディスクがありましたが、プレイヤーがなくなり再生困難に。アナログ8mmもデジタル8mmも読めず、ソニーのβはとっくに消え、VHSテープも同じ運命に。CDやDVDなどの媒体も数十年はもたずにデータが消える…。
 高齢の母は何回か転倒した後、加齢による老化の影響も大きく、徐々に記憶が怪しくなってきています。20世紀終わり頃から21世紀は、「記録が残っていない暗黒の時代」として、後世からは呼ばれることでしょう。どちらも、健忘の時代として重なり合っていますね。残るのはどこかのサーバー内にある、国家などの統治機関内の個体識別と個人の社会情報データのみ。
 空を見上げ山々を眺め、木々や花々を愛で、静かに歩いて行きませふ。