秋が深くなってきましたね。アスパラの赤い実の写真も撮りました。2020年10月19日 19:15

我が家の狭い庭で咲く、たぶん最後の薔薇の花です。細い茎ですがしっかり咲いて綺麗ですね。
その他のバラの枯れた枝などはあらかた剪定してしまい、月末頃の「草などのゴミの日」に出して、今年の庭の手入れは終わりになります。


家の近くの木々は少しずつ紅葉しています。朝晩は10度以下、4時過ぎには山陰に日が落ちていきます。



春は緑の新鮮なアスパラを出荷している近所の畑。アスパラをそのまま放置していると、細くて長くてかすむような枝がモサモサと沢山伸びます。中にあって赤く見えるのがアスパラのタネですね。

オノマトペの日本語 vs 西欧語のこと。日本語の擬態語「ポツンと」は凄いー2020年10月10日 22:46

毎年実施してきた「舞踏 butoh」のワークショップには、海外から参加してくれますが、今年の夏の六日間の集中ワークショップは、残念でしたが、コロナ禍のため二つとも休止にしました。まっ、実際はビザが発行されないし、日本に到着しても2週間ほども留め置かれるので仕方がありません。

 日本人に動きを伝えたりするとき、「クルクル回る」とか「グルリと回って見得を切る」とかオノマトペを使って言うと、さっさとその動きをしてくれます。しかし、これを英語で言うと、"turn several times lightly"(何回か軽い感じで回ってね)とか、"turn once, say, gravely" (うーん、重々しい感じで一回回ってね)と言うことになります。

ダンスセラピストの専門家がアメリカのダンスセラピーの学会にて、「日本での踊りや動きとオノマトペ」の関係について発表したのですが、何と?!アメリカのダンスセラピストの人たちがオノマトペについて「what?」という事態で、オノマトペの説明をしているうちに発表時間が切れて…といったお話しでした。

オノマトペのうちでも、擬音語・擬声語(ぎせいご) の場合は、実際に聞こえる音や声や鳴き声なので、音の表記は言語によって違うにしても、まあまあそれなりに分かり合えます。ワンワンがbow-bow、ニャンニャンがmewとか、ドンドンがbangとかいう類いだからです。
ところで日本語には、擬態語(ぎたいご)といって、実際には音はない状態や出来事にもオノマトペ(この場合は「模擬の」という意味で mimetic word)が潤沢にあるのです。「ミメティック・ワード」ですが、mimeはマイムという言葉と一緒ですね。

「ポツンと一軒家」というタイトルのテレビ番組は、たまたま見てからすっかり好きになりました。90代とか夫婦が山奥の一軒家に屈託無く生活して、レポーターには家の畑で野菜を取ってきてご馳走したり、苦難の人生を語るなど骨太ですが、何とも穏やかで幸せな感じになります。
この「ポツン」というのが擬態語のオノマトペです。元々、「孤立して山奥に住む」ことに「ポツン」という音がするはずはなく、オトは無いわけです。しかし、日本語では音のしない物事に「オノマトペ」としてオトを振り当てるという特殊能力が備わっているのです!その反面、日本語をあまり知らない人には実に難解なことになりますね。
※『擬音語・擬態語辞典』 金田一 春彦 著(1978年)では細かく五つに分けていますが、このブログでは擬音語と擬態語で代表させています。―
「擬音語」:ざあざあ,がちゃん,ごろごろ,ばたん…
「擬態語」:きらきら,つるつる,さらっと,どんより…
「擬声語」:わんわん,こけこっこー/「擬容語」:うろうろ,ふらり/「擬情語」:いらいら,うっとり…

疑問「本来は音がない物事に、日本人はどうして音的な言葉(擬態語)を使うことになったのだろうか?」

それを考えていくと、一つの可能性として「母音と子音とを同じ大脳左半球で一緒に処理するから!」ではないだろうか―。そうした解釈は以下に示した『日本人の脳』を書いた角田博士によるツノダ理論によるものでした。とりあえずは、勝手な私見ですが、個人的には「それ以外に解釈する方法は見当たらないのではないだろうか」と。

だから、暗黒舞踏の創始者・土方巽が「舞踏とは…必死に突っ立った死体…」といったような表現と知り、「…そうか。ではまず、ポツネンと立ち尽くして見ようか…」といった擬態語が出てきます。「…死体なんだから硬直していて…。そういえば土方の言葉に<印鑑体>というのがあったし…。インカンとして立つっ…」となれば、突然、「インカンたる死体」という擬態語が一回性の中で成立したりもします。

この時、母音がはずせない母音言語である日本語としては、音響としてはあまり出会うことのない「ア・イ・ウ・エ・オ」という母音を含む、「音的な言葉」として口から出て来てしまう。

「ポツリ、ポツリと語り始める」という言い方も、間合いがまばらな出来事を表す擬態語として発語されます。「ポツンと一軒家」はまだ、家があり人が住んでいる風情が無意識に感じられるけれど、「ポツンと立ち尽くす男…」ならば、もう生きていけないかもしれない程の老人の寂寥感・孤独感が「ヒシヒシと」(擬態語…)伝わってきます…。ワタシ…!?

海外での失敗談―。数名で車座になって座り、隣の人に「ザブーン」と言いながら全身で波を送る動作をして、「隣の人にも波を伝えてください」。日本では「ザッブーンッ!」と大波になったり、「チャプン」と小波になったりしながら参加者が付き合って遊んでくれます。
これをそのまま海外でやって大失敗となりました…「波がなんでZaboonなんだ?!」「Shoooo! シューッとかだろうがっ」という訳です。ザンネン。

「近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ」と詠めば、
おおみのみ…と、オとイという母音が響く 国のお話しでした。
または「はなののののはな、はなのななあに、なずななのはな、なもないのばな」(谷川俊太郎)では、ア音・オ音が豊かに伸びていきますね。

※「母音言語の日本語 vs 子音言語の西欧語」については、大脳左右半球の使われ方が、日本と西欧とで大きく異なることが研究されています。
ブログ「日本人に西欧語は聞こえにくい― 母音の大脳左右半球での処理と角田理論」 (10/4のアサブロ)
(再掲)

日本人に西欧語は聞こえにくい― 母音の大脳左右半球での処理と角田理論2020年10月04日 16:52

10年ほど前、イギリスで一年ほど暮らしていました。ロンドンでは様々に訛った英語に出会って困ることもありましたが、それなりに生活をしてきました。
 その頃、オックスフォードで英会話の勉強に来ていた日本人と会いました。しかし、彼は日常会話もできず、世界各国から来ていたクラスメートに侮蔑的な扱いをされておりました。日本で何年も働いてお金を貯めて、わざわざイギリスまで勉強に来ていたので気の毒に思い、「日本人は現地でよほど英語を勉強しても、聞き取れないのですよっ」と伝えました。「単純な努力だけではなかなか聞こえないですよっ」とも言いました。すると、少しホッとしたような顔を今も思い出します。

 私の世代では、英会話や発音の授業は中高でもほとんどなく、会話に触れたのは大学に入ってから、それもたまたま生の英会話を勉強する機会に出会ってからでした。それから、30-40年間、ラジオの英会話を録音してイヤーホンで聞き続け、左の耳穴がただれ、右の耳穴がただれ…。そうやって反復して聞いても、どうにも英語の音が頭に入ってこない!という絶望にさいなまれつつそれでも何とか頑張ってきた…という、悲しひ過去のお話しでした。※英語論文などを読まないといけないので致し方なし…。



実は、1978年に出版された『日本人の脳」(角田つのだ 忠信著、大修館書店)では、日本人が音を聞いて認識するときの大脳左右半球の使い方が、何と!西欧人とは大きく異なっていること、が書かれていました。
※もちろん、自分で「使い方」を自覚するのではなく、母音とか子音とかコオロギの声とかハミングとか機械音などが、自動的にどちらの大脳半球によって処理されるかが、日本人と西欧人では異なるということです。

初めて読んだときは、本当に目からウロコが落ちる状態でした。音の情報処理のシステムが日本人と英米人では違うのだ、と。オックスフォードで出会った日本人に話したときと同じ反応で「えっ、そうだったのか!」だったのです。
 定年となり、ある程度ヒマな時間が出来たのでトライしたのが、英語の無料映画をインターネットで見続けることでした。コロナ禍でもあり、時間があるときは英語のテレビドラマや英語の映画を大量に見ることが出来ました。それも、ブルートゥースで音声をヘッドホンまで飛ばして「きちんと聞く」体制です。すると、ブロークンで曖昧な発音のギャングの4文字侮蔑語やら鼻声やらも少しずつ聞こえやすくなってきたのは、この年齢としては望外の喜び…(将棋の若手ホープ、藤井聡太二冠が使った言葉)。^_^;
年なので、英語の高い音はやはり耳には届きづらいのですが、慣れればそれなりに届いてくるのは嬉しいものです。

いずれにしても、ツノダ理論に基づけば、大脳左右半球への音声処理の回路に介入することがないと、日本語話者は「西欧語への耳が養えない」という、往年の発見を再発見しつつあります。コロナ禍にあり内向きにうろうろできる時代なので、この際に「西欧語という子音言語」に挑戦してみるというのは如何!? とりあえず、私のやり方は簡単ですー「日本語の母音をできる限り発音しないで独り言を言う」―「k'n'n'ch'wa」「m'z'k'sh'd's'」…。

※物事の認識の仕方が母語である言語によって大きく左右される、という「言語相対性仮説」(Sapir and Whorf)では、西欧語をまとめてSAE言語(Standard Average European語)と呼んでいます。また、そうした西欧語の「I am a boy 」といった主語・be動詞 (copula)という「I = boy」形式の抽象度の高い表記に含まれる「認識の構造的な問題」については、ポーランド出身のコージブスキー(A.Korzybski)が「一般意味論」("Science and Sanity", 1933)を通じて明らかにしています。

晴天になり、紋黄蝶と紋白蝶がやってきました!今年はもう最後かな…2020年10月01日 11:40










珍しく晴天となったので洗車していると、モンキチョウがやってきました! 紋黄蝶を見るのは今年は最後かなあー。


頑張ってまだ咲いているピンクの薔薇です。













庭の隅に咲いていた花にはモンシロチョウがやってきました。羽根はだいぶくたびれていますが、花を何カ所も飛び回り蜜を吸っていました。紋白蝶も最後かな…。

9/24木 北海道 感染+11,治療中204。昨日のブログには計算上のエラーが…2020年09月25日 17:27

9/18金 感染1905人,退院1723人,治療中182名!
9/19土 感染1922人,退院1731人,治療中191名!
9/20日 感染1938人,退院1734人,治療中204名!! (図)
9/21月 感染1953人,退院1738人,治療中215名!!! (拡大図) 
9/22火 感染1962人,退院1746人,治療中216名
9/23水 感染1974人,退院1762人,治療中212名
9/24木 感染1985人,退院1781人,治療中204名
* 北海道感染状況―翌日の新聞による。
これまでの死亡者107人 (北海道新聞朝刊から) *赤色は連休。
新規感染者が17人,17人,16人,15人、9人、12人、11人という推移で、大きな変化はありません。今は、4連休後となる来週の数字を静かに待っている感じです。
昨日、PCR検査の偽陰性に関わる数値を書きました。PCR検査について「検査の感受性は 0.70」「検査の特異性 0.99」(仮に)として、前にも紹介しましたが、「尤度比」が計算できます→「オッズ計算器」

さて、昨日のブログに書いた数値は、実は暗黙のうちに「1000人が全員陽性だったとして…」という仮定がおかれていますが、気がつきましたか!?
それで「ビックリ!」するような数字となっています。実際は、ここに人口全体の「有病率」、あるいは日本の空港に到着する海外からの来訪者の「有病率」をいれる必要があります。
来訪者1000人中10人が罹患して空港に着いたということにすると、有病率は「1% 」(0.01)となります。すると、偽陰性の人は「三名」です!
*実際の有病率は国毎に違いますが、おおむね、10000人に数名程度のようです。一般にこうした計算の際に、「有病率」に類した基本情報が見落とされる傾向があることが知られています(Tversky and Kahneman)。説明が足りずゴメンナサイ。

○ PCR検査の「偽陰性」、つまり「判定が陰性なのに実際は罹患している人」は約30%存在する―。これはPCR検査で罹患者を陽性と判断できる確率が70%程度と低いためです。「自国で陰性、日本に着いて陰性」と二回とも陰性となる罹患者は、0.3x0.3=0.09つまり9%は陽性者で、それが国内に入ってきます。1000人の9%とは90人なので、毎日90名程の陽性者が国内に入ってくる計算です。
↑これにはエラーがあるので、要注意!


以下はオッズ計算結果です(こちらの数字は大丈夫)。

可哀想なコスモスと、花だけの不思議な花コルチカム―。2020年09月21日 11:51



可哀想なコスモス…。先月の台風で茎が折れ、熱波にやられ、今朝は13度ほどの冷気の中で可憐に咲いています。



健気に咲いているのでエライ感じです。ピンク色のコスモスもありますが、相当にダメージを受けているので撮影は遠慮…。また、花は一切咲かずに、茎だけ太く伸びているコスモスもいますが、これも撮影せず反省を迫る。(コスモスに雌雄はないそうですが…)



コルチカム、culchicumという不思議な花です。春先に、チューリップの葉のようなものが大きく茂りましたが花は咲かず。9月になってから花だけ咲き始めるのです。どういう了見なのか、よく分からない…。


コルチカム、秋の花は何だか弱々しく色も浅いピンクで可憐な花びらです。ふと同情してしまうのですが本当に花が咲くだけなのです。


それでも庭の隅でひっそりと咲いているので可愛らしいのが困ります。春の、あの大きな葉っぱは一体どうなったのかと思うと目まいがしそうです。




頑張って咲いている小さな花達。気持ちが真っ直ぐですね。