免疫ということ―『新しい免疫入門』を読みましたよ2020年06月02日 07:14

 5/22のブログに、『免疫革命』(講談社α文庫, 安保徹 著)を読んだ感想を書きました。ずいぶん刺激を受けて、コロナ禍の最中、もう少し読んでみたいと思いましたが、さすがにいろいろな本が出ていて迷いました。
 2冊目として読んだのは『新しい免疫入門― 自然免疫から自然炎症まで』2014年、審良静夫/黒崎知博 (講談社ブルーバックス)でした。サイトに書かれているコメントを見ると「難解…」「新しい…」というのを見て少し挑戦!というところ。『免疫革命』は2003年初版なので、それから11年後に出された内容は?!という関心がありましたが、免疫の世界が一挙に難解な世界に突入したことが分かりました。
 内容についてはあらためて書くことにして、一番印象的だったことは、免疫の世界の多層性とかなりの複雑さと曖昧さでした。「何々を食べたら良い…」「何々をしたら良い…」という単発的な思いにはまったく寄り添わないほどで、それなりの頻度で「…まだ不明」「これからの課題」というように出てきます。「免疫と炎症」はホットな話題ですが、複雑すぎてその研究成果は「これから…」。著者は世界に先駆けた研究をしていたのにタッチの差でノーベル賞を逃したようですが、本の中身はそれなり分かりやすく書いてくれていました。ブルーバックス…想像以上にレベルが高かったです。
 読んでいてつくづくと思ったのは、話題が変わってしまいますが、免疫システムの底知れないほどの奥行きにまったく似つかわしくないほどに貧弱な人間の思考能力のことでした。
 ヒトの思考は基本的に「二値的」です。アメリカのトランプ大統領は、80%ほどのアメリカ人から「人種差別者」と認識されているようですが、それとともに、物事を二値的にのみ捉えて行動する単純さが目につきます。古典的な研究では、「人間が当初認識できる(カテゴリー数)は、7プラスマイナス2」と知られていて、たかだか七つくらいの区分けでしか思考できない、というお話しです(あ、確か蔵書…)。虹の七色、世界の七不思議、七つの海…といった7・セブンという数字の意味が、人間が当初処理できる情報量の上限の研究から分かった、というものでした。
  さらに、行動するときは、「するか・しないか」という二値になるので致し方ないですが、現実は数十とか数百とかの要因によって構成されるので「行動も思考も、必ず事実世界とずれる」…。さらに思考能力の低さのせいで、世界の真理を理解する能力に乏しい…。相対性理論が説くような時間の相対性やら、集合論にあるような自己言及的パラドックス「私は嘘つき…という命題の真偽は確定できないこと」(エピメニデスのパラドックス)とかの本質的な話に行くかなり手前で、ヒトは「言葉の二値性」にやられてしまう情けなさです。二値的思考である人間の限界を指摘した『一般意味論』(A.コージブスキー)では、「敵?・味方?」に分かれて殺し合い、総計で900万人ほどが戦死した第一次世界大戦の愚かしさへの挑戦でもありました。…閑話休題と書くとすると、このブログ全部が―!。
 安保徹の免疫の四つの指標の中にある「笑い」、たぶん、私たちがすべきことはしっかりと笑いながらも、その後にでも「笑っている場合では無い!」と喜怒哀楽…喜び怒り悲しみ和む…といった諸相をきちんと生きることなのでしょうね。
 「人間だけが笑う能力を持っているのである」「…笑われるような生き物は人間だけ…」という古い言い回し。しかし、最近は『残念な生き物』という具合に動物まで笑ってしまおうという人間様の放漫さは、意外に可愛いものかもしれません。人類の終末としては、AIによる人類殲滅(ターミネーター的視点)ないし選抜、温暖化による環境破壊、暴走資本主義による世界破綻くらいかな―と思っていたら、2020年、新型コロナウィルスによる大打撃が起きました。人類史的には面白く怖い時代に生きることになりましたねえ。

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