コロナ死者40万人のプ大統領さようなら:1/20水 道。感染+164↑入院7082021年01月21日 15:50

 新規感染者が急に増えた9/18から―17人,17人(4連休始め), 16人,15人、9人、12人、11人、25人、7人、19人、17人、16人、16人、19人、15人、18人、22人、36人!、12人、38人、29人、27人、24人、31人、12人、20人、20人、30人、31人、27人、24人、17人、31人、22人、40人51人60人41人50人、27人、51人53人69人81人69人96人71人75人119人115人187人153人200人166人197人236人235人230人209人189人197人233人266人304人 最多!234人245人206人216人180人256人252人252人192人151人206人176人205人210人183人187人123人204人197人241人177人189人125人125人104人 86人139人141人,132人,135人110人74人↓114人123人97人↓161人 85人 94人 87人133人176人↑[ 休刊日]人 77人 68人 94人 79人115人161人↑181人↑215人188人135人145人↑109人194人202人↑192人124人125人 92人↓164人↑(1/20)の新規感染者です。

 第64代バイデン大統領は就任演説の中で、「この一年ほどで第一次世界大戦と第二次世界大戦の合計死者に匹敵する40万人のウイルス感染死亡者を出した」と前政権を非難しました (カウントの仕方により第二次大戦は戦死約30数万人)。つまり、 アメリカ史上最多の死者、それも一般人…を出したのが退職した前プ大統領です(以下、「プ統領」)。
 口の周りに小さな布や不織布やウレタン生地などを着けるだけで、感染を大幅に減らせるという、実にどうでもいいようなことを、プ統領は政略に用いて死亡を招いたという大罪を犯しました。アメリカの病床で重症患者が苦しい息の中で尋ねたそうです―「コロナウイルスはただの風邪だから、自分が重症なのは別の病気です。何の病気か本当のことを言ってください!」と懇願するなかで死亡するという話をアメリカのメディアが何度も伝えていました。
 無知と欺瞞と隠蔽の中で、プ統領が「マスクを着けないことが、ワタシタチの陣営のタダシイ行動」として流布させて感染を拡大させました。「消毒剤を打てば治る」などのプ統領の暴言は側近も卒倒するような無知な発言でした。
「大衆は愚かである。何度も繰り返すとウソでも信じ込む」と冷静に指摘した中世イタリアのマキャベリの政治指南通りに、人々はたぶらかされたと言えます。これから、社会学、政治学、感染学、歴史学などの研究者がプ統領の歴史的悪行を学問的に明らかにしていくことでしょう。就任演説の中でバイデン大統領が「真実 truth」という言葉を使っていたのが印象的でした。対比的に、プ統領は「フェイクニュースだ…(でっち上げ)」という言葉で自身に対して不利な事柄を全否定していたことを思い出していました。
 国内ではGotoトラベルのごり押しで感染が拡大したことは事実だし、年末年始の感染爆発の発生もその余波であることは間違いありません (東京ではまだ自宅療養者9000人、放置陽性者7000人…)。今後、真面目な社会学者、歴史学者、政治学者、感染病学者などがそうした事実についてきっちりとエビデンスをまとめてくれることでしょうし、それによる政治家の責任も明確になるでしょう。(内閣官房では記録を残さない…という姿勢がアベノマスク時代から培われているようですけれども。)
 それにしても、一生の間に専門書を1冊も発行しないような (全く売れないため…)、日陰の学問領域で真面目に研究している学者・研究者はまだ沢山おります。「…私は魂を売りません」と、中堅の女性心理学者がポツリと言った言葉がいまだに心に響きます。事実、真実に沿うという姿勢…。
 無知と欺瞞と隠蔽、その中での悪しきこと・凄まじきことのただ中にありながら、私としては良きこと・素敵なことに出会いながら穏やかに生活したい…。とりあえず、簡単に欺されないようにはしたいものだと願っています。
 そうそう、高齢母の施設、関連病院での濃厚感染者の確認による面会停止は、「感染はなかったので、また面会できますー」と嬉しい連絡がありました。誠実に仕事をしている様子が感じられ本当に感謝、感謝です。

--------------------------------------------
1/13水 感染15106,退院13064,療養入院2042↓(入院725)
1/14木 感染15300,退院13201,療養入院2099↑(入院687) (感染図)
1/15金 感染15502,退院13344,療養入院2158↑(入院694)
1/16土 感染15694,退院13444,療養入院2250↑(入院700)
1/17日 感染15818,退院13560,療養入院2258↑(入院746)
1/18月 感染15943,退院13695,療養入院2248(入院754)
1/19火 感染16035,退院13866,療養入院2169(入院740↓)
1/20水 感染16199,退院14001,療養入院2189↑(入院708↓)

* 北海道感染状況―北海道新聞朝刊による前日データ。
これまでの死亡者551(+5)
人。
*「退院」は退院と療養解除、「療養入院」は療養者と入院者。「(入院)」の人数は前日の数値。




新海誠「天気の子」TV放映は対コロナ禍! :1/3日 道。感染+68。2021年01月04日 10:42

 新規感染者が急に増えた9/18から―17人,17人(4連休始め), 16人,15人、9人、12人、11人、25人、7人、19人、17人、16人、16人、19人、15人、18人、22人、36人!、12人、38人、29人、27人、24人、31人、12人、20人、20人、30人、31人、27人、24人、17人、31人、22人、40人51人60人41人50人、27人、51人53人69人81人69人96人71人75人119人115人187人153人200人166人197人236人235人230人209人189人197人233人266人304人 最多!234人245人206人216人180人256人252人252人192人151人206人176人205人210人183人187人123人204人197人241人177人189人125人125人104人 86人139人141人,132人,135人110人74人↓114人123人97人↓161人 85人 94人 87人133人176人↑[ 休刊日]人 77人 68人(1/3)の新規感染者です。

 昨日の夜、テレビで新海誠のアニメ作品「天気の子」を見ました! 2019年の作品なので随分早くテレビで放映するんだなーと思いつつ楽しみにしていました。実は、新海誠が初めて劇場公開した作品「ほしのこえ」(2002)は、たまたまその頃見る機会があり、背景の光の凄さと内容のせつなさにやられました。高校生の女の子が宇宙の遠くから携帯電話!で送信するテキストメッセージが男の子に届くのにはものすごい時間がかかり…(あとは内緒)。それ以来、隠れファンをしていましたが、何年か前、新海誠作品をBSだったかでまとめて放送した時期があり堪能しました。そして、今回の「天気の子」…。
 2年前の作品なのでコロナ禍とは全く無関係なのですが、結果的に「コロナ禍の中で生活して、生きていくこと」を支えてくれる作品になっていました。「…そういうことだから、コロナ禍2年目の正月にテレビ放映したんだね、きっと…」。新海監督、ありがとうー、登場人物の祖父のような年の私ですが、無関係に頑張ります (^_^v。

 北海道の新規感染者は68人と少ないです。しかし、200-300人という大規模クラスターが複数発生してきたので、昨日は入院中の人たちから12名の方が亡くなりました。全員、高齢の方…。
 東京は感染蔓延になってきて、隣の県知事と一緒に「緊急事態宣言を出してほしい」と総理に求めていますが、8時までの時短営業…といったあたりでお茶を濁しています。今から宣言しても、1)時短に切り替える店は多くないだろう、2)人出もそれほど減らないだろう、などマイナスの状況が見えていますが、総理は踏み切るでしょうか―。

 新海誠の「天気の子」は、言ってみれば「ニュー・ノーマル」「新しい普通・日常」を宣言するようなメッセージ性がありました。
 コロナ禍も結局の所は、ワクチンがある程度効果があってあまり重症化せず、集団免疫の状態に近づきやすくする道具といったところです。散歩する高齢者として言ってみれば、危険な道路があるので、そこには少し高い路側帯をつけてヨロヨロ歩く歩行者をそれなりに守ってくれる…といった程度なのかもしれません。


--------------------------------------------
12/26土 感染12876人,退院10851人,治療中2025名
12/27日 感染12961人,退院10906人,治療中2055名↑
12/28月 感染13055人,退院10988人,治療中2067名
12/29火 感染13142人,退院11106人,治療中2035名
12/30水 感染13275人,退院11168人,治療中2107名↑
12/31木 感染13442人,退院11309人,治療中2133名↑
1/1金(休刊日)
1/2土 感染13617人,退院11466人,2151名↑ (感染図)
1/3日 感染13685人,退院11521人,2164名↑
* 北海道感染状況―北海道新聞朝刊による前日データ。
これまでの死亡者472(+12)
人。
*「退院」は退院者と療養解除者。なお「入院患者」は前々日のデータ。


笑う門には福来たる 免疫(2) :1/2土 道。感染+77,治療中2151名↑2021年01月03日 12:52

 新規感染者が急に増えた9/18から―17人,17人(4連休始め), 16人,15人、9人、12人、11人、25人、7人、19人、17人、16人、16人、19人、15人、18人、22人、36人!、12人、38人、29人、27人、24人、31人、12人、20人、20人、30人、31人、27人、24人、17人、31人、22人、40人51人60人41人50人、27人、51人53人69人81人69人96人71人75人119人115人187人153人200人166人197人236人235人230人209人189人197人233人266人304人 最多!234人245人206人216人180人256人252人252人192人151人206人176人205人210人183人187人123人204人197人241人177人189人125人125人104人 86人139人141人,132人,135人110人74人↓114人123人97人↓161人 85人 94人 87人133人176人↑[ 休刊日]人 77人(1/2)の新規感染者です。

 アメリカの友人知人とオランダなどの友人から年賀メールが届きました。変異種がはやり始めている状況の中、それぞれ無事が分かり本当にありがたいことです。皆さん、罹患せずにぜひ無事に過ごして下さーい。
 「免疫を上げるのに何々」といった情報が山ほどありますが、日本の場合は歴史的に見ると「心身医学」が始まり、それに基づいて心療内科が始まった頃を忘れられません。
 池見酉次郎(ゆうじろう)先生が初代「心身医学会」の理事長となって(1960)活動開始したので、60年の歴史があります。笑いと免疫については20-30年前にはすでに研究があり、吉本の演芸場などに入る前に血液を採取し、大笑いして出てきた事後の血液とを比べると「免疫能が高まっていた」という結論はほぼ一貫しています。微妙な研究では、笑っていないけれど笑顔を造るだけでも良いというものもありました。ということで、年末年始に繰り広げられるお笑い番組などで、笑う門には確かに福がやってくるわけです。笑いヨガや笑い講などでは、「理由はともかく一生懸命に笑おうとする」ので、必死に笑おうとしている周りの人たちの滑稽さに思わず吹き出すという仕組みもありますね―。
 ちなみに、池見先生の講演は何度も聞きましたが、元々は「医学的には治るはずのないガン患者のガンが、縮退したり治ったりした」という珍しいケースを集めていて、国内の学会で発表するときっと袋だたきになるだろうから「海外の小さな学会で発表すると<数は少ないけれどそういう事例があります>という他の研究者と会えた…」といったお話しがありました。「身体の問題には心のあり方が関わっている」…。その後、サイコ・オンコロジー(psycho-oncology:精神腫瘍学)と呼ばれるアプローチへと展開しました。
 また、当時の九州大学には、催眠研究実践の大家・成瀬悟策もおりましたね。いずれも「思いの力が身体に届く」ことを扱っていますが、その後、「自分の整体の力量でガンを治す…」ことにチャレンジする方ともお会いする中で、残念ながらそんなに簡単なことではないのだ…という重い事実にも出会いました。

 正月の特番としては、私は毎年「とんねるず石橋貴明」の「リアル野球盤」を楽しんでいます。今年も楽しかったですねっ。プロ野球のスター選手をからかい、おちょくって、彼らの誇りを突き崩しながらリアル野球盤で勝負する番組は少々スリリングだったりもして、アグレッション・怒りから素直な意気軒昂さまで楽しめます。思うに、とんねるずにはあまり悪意の部分がないのが良いのでしょうね、きっと。杉谷、がんばれ!(日ハムファン)

--------------------------------------------
12/24木 感染12618人,退院10571人,治療中2047名↓
12/25金 感染12715人,退院10713人,治療中2002名↓↓ (感染図)
12/26土 感染12876人,退院10851人,治療中2025名
12/27日 感染12961人,退院10906人,治療中2055名↑
12/28月 感染13055人,退院10988人,治療中2067名
12/29火 感染13142人,退院11106人,治療中2035名
12/30水 感染13275人,退院11168人,治療中2107名↑
12/31木 感染13442人,退院11309人,治療中2133名↑
1/1金(休刊日)
1/2土 感染13617人,退院11466人,治療中2151名↑ (感染図)
* 北海道感染状況―北海道新聞朝刊による前日データ。
これまでの死亡者460(+4)
人。
*「治療中」は入院者と療養者。「退院数」は退院者と療養解除者。


北海道のコロナ禍を毎日書いてます…昨日はナウシカ、見ました。2020年12月26日 10:20

昨日はクリスマスの夜でした。
昼間に二回、10~15センチほどの雪かきをして、夜は久しぶりのアニメ「風の谷のナウシカ」を見ました。何とも懐かしかったですね、空を駆け抜ける健気(けなげ)なナウシカ…。
 当時は、腐海から出てくる瘴気(しょうき)にやられないように登場人物がみんな特製マスクをつけているのが目立ちました。今は不織布でできた安いマスクや、手作りの布マスク、(さすがにアベノマスクは見たことがない…)の人たちが街中を普通に歩いている風景となり、どちらも違和感がなくなっているのが奇妙な感じでした。
 合唱禁止のため、ある大学の合唱団員は、おそろいのマスクをつけ、大声を出して歌うことなく、歌詞のカードを順にめくって見せる…奇妙な風景でした。

 10年ほど前、オックスフォードにある、野良クジャクが闊歩している大きな公園でのこと。戸外の広大な空間でのダンスパフォーマンスでは、大声で絶叫するという、はた迷惑をことをしておりました。晴天の休日、ピクニックに来ていた家族連れ達が芝生から居なくなりましたが(当たり前…)、特に誰にもとがめられずに10名程で「パフォーマンス」。よほど怪しかったのでしょうね…申し訳ありませんでした。

 ナウシカの画面には、叫んだり怒号を上げるなど「絶叫」のシーンが出てきます。しかし今は「コロナ禍の中、息も絶え絶え」では、叫ぶところか息もしていないのは、かつては丹田呼吸など腹式呼吸で豊かに免疫を高められていた時代が思い出され、少なからず悲しひ…。

 「めんこい…」は可愛いの謂い。これをさらに可愛くして「めんちこい」と発音する女の子がいました。発音は「めんチュこい」に近いかな…。 Kの音はときどきCHの音に変化するので、そうやって可愛らしくする音で造られた言葉を「指小詞」といい、小さくて可愛らしいものを指します。
 ちなみに、「ナウシカ」の音に近いロシア語は「ナウカ(科学)」かな、これにK音→CH音への転化を勝手につけてしまうと、「ナウチカ」で「科学ちゃん」くらいの意味になるでしょうか。また、CHチ音→SHシュ音へとよく入れ替わるので、そうしてみると「ナウシカ」「ナウシュカ」かな…。風の谷のナウシカを見ながらの音韻的冥想でした。
 もっと雪が降り積もったら、例年のことですが、クロスカントリーのスキーをかついで雪に埋もれただだっ広い公園に行きます。誰もいないので、今年は是非、絶叫しておきたいと思います。雪原で絶叫している高齢者を見かけたら、「…し、仕方がないなあ…」と遠い目で見守ってやってください…。

※連日、コロナ禍状況のデータを入れつつ感想を書くので意識は保てますが、間違いなく疲れているようです…。さて、来年は変異種などにやられないように丹田呼吸などであらためて頑張ることにいたします。

アビガンは…承認されない方向です。単盲検 vs 二重盲検法2020年12月20日 23:24

アビガンは催奇性があることで、新型コロナウイルスの治療薬としての承認がズーッと遅れていました。しかし、結局は、「患者が使用を受け入れる」という観察研究という枠組み以上には、治療薬としては使えない方向のようです。
※重症でない患者156名にアビガンを投与して、PCR検査で陰性になるまでの日数が、投与された群では2.8日早かった、という結果。
 本来は「医師と患者が共に、本物の薬か偽薬(プラセボ)かを知ることなく治療に用いる(ダブル・ブラインド)」という二重盲検法(double blind analysis)という研究手続きをとる必要があったのです。しかし、アビガンの観察研究では、「医師は知っているが、患者は投与されるのが本物の薬か偽薬かは知らない」という単盲検査(single blind test)だったようです。つまり、使用する医師は「これは実は偽薬なのでね、効かないのだけれども。観察研究の被験者として、この人には偽薬を投与することになってゴメンね」という状況が、患者側に悟られたり疑われたりする可能性が否定できないので、「薬の投与による暗示効果が偽薬と本物の薬とで同じだったとは言えない」ためでした。
 ようするに、「(…これは本物のアビガンだから聞くはずだ)」という自信に満ちた医師から投与されたときと、「(…偽薬だから効かないだろうなあ…)」と自信のない医師からの投与では「薬の効果が違うから」、研究の土台が整っていなかった、ということです。実は、新しい薬を作る創薬の専門家によると、「暗示効果を超えるほどの薬効のある新しい薬を作り出すのは極めて困難…」ということなのです。

 前にも書きましたが、催眠と暗示の専門的な書籍『精神生物学(サイコバイオロジー): 心身のコミュニケーションと治癒の新理論』(1999)が、人の免疫にも、本人の無意識の思い(暗示…という言葉で表すことにします)が大きく影響することを明らかにしています。
 5/23のブログ:この本の紹介があります 
 薬効については、例えば、「鎮痛剤の効果の55%は暗示効果」であることが紹介されています。これは、ただの偽薬でも、「良く効く痛み止めだ」と思って服用すれば、痛みの半分は軽減できるということです。
*もしくは、被験者の半分には効いたということだったか…。すぐに確認できずスミマセン。

 そうした研究結果が出ているため、「投与する医師側も、服用する患者側も、その錠剤が偽薬であるかどうかは知らない状態」で「本物の薬、あるいは偽薬」のどちらかを投与する―という「二重盲検法」の方法をとらないといけないわけです。もちろん、医師側に薬を渡す管理者のレベルではそれが本物か偽薬かのリストはあるのです。それで、偽薬を服用した人と、本物の薬を服用した人とで、どれくらいの効果があったかを対比するわけです。そうして、統計的に有意に(1%あるい5%の間違いの可能性を許容して)、「本物の薬の方に一定の効果があった」と結論付けるわけですね。*現在は有意性検定だけではなく、検定力分析を用いて効果量を把握するのが必須ですけれども。

 北海道新聞の数日前の記事(12/16付け)に、「偽薬効果(プラセボ効果)」とは逆側の効果である「副作用についての偽薬効果」すなわち「ノセボ効果(nocebo effect)」が紹介されていて驚きました。
 「…脂質異常症の治療薬スタチンには筋肉の痛みや倦怠感と行った強い副作用があり、そのため中断する人が多いこと。しかし、研究の結果、その副作用の90%は偽薬を投与しても発生した」(イギリス; 2016~2018年、被検者37~79歳の60名)のです。つまり、何にも効かない偽薬をスタチンという薬だとして服用すると、本物の薬を服用したときの副作用の90%(記事には数値の正確な説明はなし)が起きた…というのです。「ノセボ効果」について実に分かりやすい、凄い研究結果でした。

 「気のせい…の力」についてきちんと勉強する際、上記1999年の本が大変に参考になりました。暗示の効果などを長年、研究してきたので紹介しましたが、このブログと出版社とは残念ながら何の関係もありまっせん。

オノマトペの日本語 vs 西欧語のこと。日本語の擬態語「ポツンと」は凄いー2020年10月10日 22:46

毎年実施してきた「舞踏 butoh」のワークショップには、海外から参加してくれますが、今年の夏の六日間の集中ワークショップは、残念でしたが、コロナ禍のため二つとも休止にしました。まっ、実際はビザが発行されないし、日本に到着しても2週間ほども留め置かれるので仕方がありません。

 日本人に動きを伝えたりするとき、「クルクル回る」とか「グルリと回って見得を切る」とかオノマトペを使って言うと、さっさとその動きをしてくれます。しかし、これを英語で言うと、"turn several times lightly"(何回か軽い感じで回ってね)とか、"turn once, say, gravely" (うーん、重々しい感じで一回回ってね)と言うことになります。

ダンスセラピストの専門家がアメリカのダンスセラピーの学会にて、「日本での踊りや動きとオノマトペ」の関係について発表したのですが、何と?!アメリカのダンスセラピストの人たちがオノマトペについて「what?」という事態で、オノマトペの説明をしているうちに発表時間が切れて…といったお話しでした。

オノマトペのうちでも、擬音語・擬声語(ぎせいご) の場合は、実際に聞こえる音や声や鳴き声なので、音の表記は言語によって違うにしても、まあまあそれなりに分かり合えます。ワンワンがbow-bow、ニャンニャンがmewとか、ドンドンがbangとかいう類いだからです。
ところで日本語には、擬態語(ぎたいご)といって、実際には音はない状態や出来事にもオノマトペ(この場合は「模擬の」という意味で mimetic word)が潤沢にあるのです。「ミメティック・ワード」ですが、mimeはマイムという言葉と一緒ですね。

「ポツンと一軒家」というタイトルのテレビ番組は、たまたま見てからすっかり好きになりました。90代とか夫婦が山奥の一軒家に屈託無く生活して、レポーターには家の畑で野菜を取ってきてご馳走したり、苦難の人生を語るなど骨太ですが、何とも穏やかで幸せな感じになります。
この「ポツン」というのが擬態語のオノマトペです。元々、「孤立して山奥に住む」ことに「ポツン」という音がするはずはなく、オトは無いわけです。しかし、日本語では音のしない物事に「オノマトペ」としてオトを振り当てるという特殊能力が備わっているのです!その反面、日本語をあまり知らない人には実に難解なことになりますね。
※『擬音語・擬態語辞典』 金田一 春彦 著(1978年)では細かく五つに分けていますが、このブログでは擬音語と擬態語で代表させています。―
「擬音語」:ざあざあ,がちゃん,ごろごろ,ばたん…
「擬態語」:きらきら,つるつる,さらっと,どんより…
「擬声語」:わんわん,こけこっこー/「擬容語」:うろうろ,ふらり/「擬情語」:いらいら,うっとり…

疑問「本来は音がない物事に、日本人はどうして音的な言葉(擬態語)を使うことになったのだろうか?」

それを考えていくと、一つの可能性として「母音と子音とを同じ大脳左半球で一緒に処理するから!」ではないだろうか―。そうした解釈は以下に示した『日本人の脳』を書いた角田博士によるツノダ理論によるものでした。とりあえずは、勝手な私見ですが、個人的には「それ以外に解釈する方法は見当たらないのではないだろうか」と。

だから、暗黒舞踏の創始者・土方巽が「舞踏とは…必死に突っ立った死体…」といったような表現と知り、「…そうか。ではまず、ポツネンと立ち尽くして見ようか…」といった擬態語が出てきます。「…死体なんだから硬直していて…。そういえば土方の言葉に<印鑑体>というのがあったし…。インカンとして立つっ…」となれば、突然、「インカンたる死体」という擬態語が一回性の中で成立したりもします。

この時、母音がはずせない母音言語である日本語としては、音響としてはあまり出会うことのない「ア・イ・ウ・エ・オ」という母音を含む、「音的な言葉」として口から出て来てしまう。

「ポツリ、ポツリと語り始める」という言い方も、間合いがまばらな出来事を表す擬態語として発語されます。「ポツンと一軒家」はまだ、家があり人が住んでいる風情が無意識に感じられるけれど、「ポツンと立ち尽くす男…」ならば、もう生きていけないかもしれない程の老人の寂寥感・孤独感が「ヒシヒシと」(擬態語…)伝わってきます…。ワタシ…!?

海外での失敗談―。数名で車座になって座り、隣の人に「ザブーン」と言いながら全身で波を送る動作をして、「隣の人にも波を伝えてください」。日本では「ザッブーンッ!」と大波になったり、「チャプン」と小波になったりしながら参加者が付き合って遊んでくれます。
これをそのまま海外でやって大失敗となりました…「波がなんでZaboonなんだ?!」「Shoooo! シューッとかだろうがっ」という訳です。ザンネン。

「近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ」と詠めば、
おおみのみ…と、オとイという母音が響く 国のお話しでした。
または「はなののののはな、はなのななあに、なずななのはな、なもないのばな」(谷川俊太郎)では、ア音・オ音が豊かに伸びていきますね。

※「母音言語の日本語 vs 子音言語の西欧語」については、大脳左右半球の使われ方が、日本と西欧とで大きく異なることが研究されています。
ブログ「日本人に西欧語は聞こえにくい― 母音の大脳左右半球での処理と角田理論」 (10/4のアサブロ)
(再掲)

日本人に西欧語は聞こえにくい― 母音の大脳左右半球での処理と角田理論2020年10月04日 16:52

10年ほど前、イギリスで一年ほど暮らしていました。ロンドンでは様々に訛った英語に出会って困ることもありましたが、それなりに生活をしてきました。
 その頃、オックスフォードで英会話の勉強に来ていた日本人と会いました。しかし、彼は日常会話もできず、世界各国から来ていたクラスメートに侮蔑的な扱いをされておりました。日本で何年も働いてお金を貯めて、わざわざイギリスまで勉強に来ていたので気の毒に思い、「日本人は現地でよほど英語を勉強しても、聞き取れないのですよっ」と伝えました。「単純な努力だけではなかなか聞こえないですよっ」とも言いました。すると、少しホッとしたような顔を今も思い出します。

 私の世代では、英会話や発音の授業は中高でもほとんどなく、会話に触れたのは大学に入ってから、それもたまたま生の英会話を勉強する機会に出会ってからでした。それから、30-40年間、ラジオの英会話を録音してイヤーホンで聞き続け、左の耳穴がただれ、右の耳穴がただれ…。そうやって反復して聞いても、どうにも英語の音が頭に入ってこない!という絶望にさいなまれつつそれでも何とか頑張ってきた…という、悲しひ過去のお話しでした。※英語論文などを読まないといけないので致し方なし…。



実は、1978年に出版された『日本人の脳」(角田つのだ 忠信著、大修館書店)では、日本人が音を聞いて認識するときの大脳左右半球の使い方が、何と!西欧人とは大きく異なっていること、が書かれていました。
※もちろん、自分で「使い方」を自覚するのではなく、母音とか子音とかコオロギの声とかハミングとか機械音などが、自動的にどちらの大脳半球によって処理されるかが、日本人と西欧人では異なるということです。

初めて読んだときは、本当に目からウロコが落ちる状態でした。音の情報処理のシステムが日本人と英米人では違うのだ、と。オックスフォードで出会った日本人に話したときと同じ反応で「えっ、そうだったのか!」だったのです。
 定年となり、ある程度ヒマな時間が出来たのでトライしたのが、英語の無料映画をインターネットで見続けることでした。コロナ禍でもあり、時間があるときは英語のテレビドラマや英語の映画を大量に見ることが出来ました。それも、ブルートゥースで音声をヘッドホンまで飛ばして「きちんと聞く」体制です。すると、ブロークンで曖昧な発音のギャングの4文字侮蔑語やら鼻声やらも少しずつ聞こえやすくなってきたのは、この年齢としては望外の喜び…(将棋の若手ホープ、藤井聡太二冠が使った言葉)。^_^;
年なので、英語の高い音はやはり耳には届きづらいのですが、慣れればそれなりに届いてくるのは嬉しいものです。

いずれにしても、ツノダ理論に基づけば、大脳左右半球への音声処理の回路に介入することがないと、日本語話者は「西欧語への耳が養えない」という、往年の発見を再発見しつつあります。コロナ禍にあり内向きにうろうろできる時代なので、この際に「西欧語という子音言語」に挑戦してみるというのは如何!? とりあえず、私のやり方は簡単ですー「日本語の母音をできる限り発音しないで独り言を言う」―「k'n'n'ch'wa」「m'z'k'sh'd's'」…。

※物事の認識の仕方が母語である言語によって大きく左右される、という「言語相対性仮説」(Sapir and Whorf)では、西欧語をまとめてSAE言語(Standard Average European語)と呼んでいます。また、そうした西欧語の「I am a boy 」といった主語・be動詞 (copula)という「I = boy」形式の抽象度の高い表記に含まれる「認識の構造的な問題」については、ポーランド出身のコージブスキー(A.Korzybski)が「一般意味論」("Science and Sanity", 1933)を通じて明らかにしています。

「思考停止」のGoToキャンペーン。感染対策は、ない。2020年07月18日 10:42

「認知の歪み」というキーワードを使って、人の非効率的な言動を修正しようという認知療法ですが、実は根本的なところに誤りがあります。元々は、A.コージブスキーによる「一般意味論」の内容をほぼそのまま取り入れて提起された「論理療法・論理情動療法」から展開して「認知療法」が出てきたのですが、次のような混乱が起きてしまいました―。

一般意味論⇒
 人類一般の認識には本質的に(認知システム内に)誤りが組み込まれている。

認知療法⇒
 心理的な問題を抱える人たちには「認知の歪み」があるので、それを修正しよう。

つまり、臨床心理士の方などが「あなたには認知の歪みがあります」という言い方は全く不正確であって、まずは「私たち人類にはどうしようもない認知の歪みがあります」と言わなくてはいけない―ということです。
 「人間の認識上の歪み」の問題を相談相手の個人的な問題へとすり替えてしまっている…というところに本質的なズレがあります。

 一般意味論は1933年に出版された『科学と正気 Science and Sanity』によって、その基本が説かれたのですが、その本は大著であり、また内容は論理学から集合論の陥穽、そして相対性理論まで網羅する内容だったため (翻訳を試みていた先生はおられますが…) 出版を引き受ける出版社はなく、日本語で部分的に紹介する本が出版されただけで時代が過ぎ去ってしまいました。実に残念なことでした。

 人間の認識について、よく知られていることとしてはソクラテスの「無知の知」ということが挙げられます。「自分がそのことを知らないで居る、という事実に気がついて、知らないままであることに気がついている」といった意味です。哲学の出発点のように紹介される、基本的な事柄だといえます。
 「思考の出発点…」ということについて考えると、それは様々ですが、その際、ほとんど見落とされることがあり驚愕することになります。それは、「出発点…」はともかくして、さて、それでは「その出発点」となったポイントの一つ前にさかのぼることについては、その可能性を含めて「無知のまま放置されている」という事実です。
 よく知られている例を挙げてみます。「基準」とは何か―です。「何々は重い」といった普通の文章でもそうですが、「重い」と判断する基準があったわけです。しかし、その基準は暗黙のうちに使われて文章として表出されて「…重いのだ…」ということになりますが、「一体、何を基準として重い」と言ったのかが不明のまま放置されています。
 「基準」についてはさらに恐ろしいことが起きてしまいます。「それを重いとした基準が分かったとして」「その基準が正しいモノとして選ばれた、その際の基準は何だったのか…」ということになります。
 普通の人はこの段階で意識を失うか、別のことへ意識を切り替えて問題を素通りすることで、日常生活を続けることになります。
 「…を基準とするためには、それを基準として妥当だと判定出来るような、より基本的な別の基準が必要となり、…さらにそれを基準とするためには、さらにさらにそれを判断する別の基準が必要となり…」という訳で、無限遡及(むげんそきゅう:かぎりなくさかのぼる)に至るわけですね。

 このブログは「テツガクの場」でも何でもないのですが、非常に大事なことは「思考停止」つまり、それ以上にさかのぼらない…という意味で、「思考の出発点が存在して、それと同時に、それより先には遡らないという思考の限界点が存在する」ことに共感してもらえればと思います。

 残念ながら私は、コロナ禍の中で蠢く政治の世界の魑魅魍魎に関わり合う関係はないので、とりあえずは外野席から眺めているに過ぎません。その外野席から見えてきたことの一つが「PCR検査を拡充しない」という政府の思考停止状態でした
 これは元々、検査の精度に関わり、どうしても偽陰性すなわち、本当は陽性なのに「罹っていない」というエラーが一定の割合で出てしまう懸念から出発していました。
 ただし、この偽陰性などは確率の数値できちんと計算できるので、計算されるリスクという意味では分かりやすい事柄でした。しかし、PCR検査に伴う実際的な困難の数々― 1)本当は罹っているのに間違って陰性となる偽陰性の問題がある、 2)検査者が飛沫感染の危険にさらされる、 3)手作業なので作業が困難 (本当は専門的な機械で正確にかつ感染の可能性なく検査できるのですが、この事実はなかったことにされています)、 4)検査には10数時間かかる (これも様々な新しい方法では1時間とか可能)、 5)検査で陽性になっても受け入れる病床・病院が限られている―。
 こうしたことから「PCR検査はすべきではない」という暗黙の姿勢ができあがりました。国際的には見ても世界中から「!?」という驚愕を招くことになりました。また、抗原検査にしても抗体検査にしてもやはり疑陽性・偽陰性の割合が低くはないことから、政府としては「検査精度に問題があり信用ならぬから使用しない!」となって推移しています。

 こうした実績から推測してみると、「PCR検査を行わないでおけば、崩壊直前の貧弱な医療体制がとりあえず壊れず政府の体面が保たれる」という政略的な姿勢が基本にあった、ということも考えられます。

 いずれにしても、政府として国策として感染対策を増強することはなく、せいぜい、各都道府県の知事達に現場で頑張らせておけば良い…ということになってしまいました。
 このため「偽陰性の問題を確率的にきちんと把握しながら、感染対策を打ち出していく…」という姿勢が打ち捨てられました。そして突如として「観光に金をばらまいて、観光関係領域が経済的に生き延びられるようにする」という施策=GoToキャンペーンが登場したわけです。466億円かけたアホノマスクと似たパターンです。
 これには、抗原検査で陽性の人はJRなどの駅や空港で「ダメです」と拒否されることもなく、検査に関わる経費など拡充して防御をすることもなく、ただただ「感染を恐れず行け!GoToトラベル!」という、肉弾三勇士状態でスタートしました。重ね重ねの「思考停止」状況です…。というわけで、むかしの古い話と全く同じ構造になっていることにあらためて驚き呆れます。

この「全員突撃」を日露戦争の例で見てみましょう。当時、ロシアは連発発射できる機関銃(ロシア軍マキシム機関銃)を203高地に設置して、日本陸軍歩兵部隊が突撃してくるのを阻止しようとしていました。
 当時の大日本帝国陸軍は、元込め単発発射の銃を歩兵に持たせ「全員突撃!」の号令のもと、多数の歩兵が機関銃に向かって進み、あっさり撃たれ続けて「名誉の戦死」をさせられました。同じような場面は第二次世界大戦でも繰り返されています。
 死ぬのはお前の責任で、陸軍は関知しない…。旅行に出かけ、あるいは旅行者を受け入れて、新型コロナウイルスに罹って苦しむのはお前の責任であり、当局(国交省)は一切関知しない…。感染の危険について「思考停止」の無責任体制という点では同根の状態で、実に気持ちの悪い形で「歴史は繰り返す」のです…。

6/29月 退院1037人,治療中196名!昼カラオケ感染はなぜ北海道だけ?2020年06月30日 09:46

6/22月 感染1182人,退院994人,治療中188名
6/23火 感染1183人,退院1003人,治療中180名
6/24水 感染1183人,退院1011人,治療中172名
6/25木 感染1199人,退院1015人,治療中184名
6/26金 感染1204人,退院1027人,治療中177名
6/27土 感染1205人,退院1031人,治療中174名 (図)
6/28日 感染1222人,退院1037人,治療中185名
6/29月 感染1233人,退院1037人,治療中196名!
* 北海道の感染状況。
これまでの死亡者99人 (北海道新聞朝刊から)

北海道は入院治療者数が増えてまた200人に戻りそうな勢いです。かなり残念です。それにしても、昼カラオケは全国各地にあるのに、なぜ北海道だけで発生?というところ。なお、高齢者施設での新たな感染クラスターでは、外部からディケア利用者が関わっている模様です。

 以下はまったく個人的な印象に過ぎませんが、北海道の人(特に中高年)は全体的におおらかな感じで、少し言い過ぎとしまうと世界的に見てもかなり「お人好し」度が高いようです。つまり、原理原則に厳しくなく、しぶとく利害にしがみついたりしない…といった傾向です。言ってみれば、「寝首を掻く(ねくびをかく)」方ではなく、ぼやぼやして寝ている間に首を取られる側ですね。
 若い時分に泊めてもらったアメリカインディアンの居留地、そこの人たちにも似たような感じをもった記憶があります。優しいというか大らかというか…。アメリカ大陸の先住民、インディアンの人たちは、ヨーロッパから入ってきた白人達によって駆逐され、貧しい土地(居留地)に追いやられた悲しい歴史があります。北海道の場合は、和人(シャモ)によってアイヌの人たちも追いやられるという同様の歴史がありました。いずれにしても、厳しい自然の中で生活していた狩猟採取の先住民は、食べられなかったりする脆弱な生き物同士として、ある種の寛容さをもってしまっている…そんな風に感じています。
 小樽の昼カラオケによる感染クラスターは、そうした観点とは少し異なりますが、明治時代に食い扶持を求めて日本各地から流入してきた多種多様な入植者達と流れ者達(少なくとも私の父の父がそうでした)、そして、その子孫に培われてきた「北海道民の大らかさ」(断念の結果、ボヤーと生きている?!)…それが裏目に出たのではと思っています。こうした感想は当事者ならではのことで、これをブンカジンとかユウシキシャとかに語られると腹が立つ訳ですが、リスクをかかえている高齢者としてあらためて気をつけなければと自戒しています。

ネーミング・名付け― 特徴だとしてそれを言葉にすること2020年06月27日 09:37

6/24に接触確認アプリのネーミングの悪口を書きました。たまには悪口の一つも言っておかないと…というところです(^_^v。
 正確に言えば、「実態とつながらない名称・ネーミングは認識を歪める」からで、理屈としては一般意味論ならびに多元的現実論に基づく判断です。まっ、それはそれとして…。
 「E電」…。イーデンと読みますが、アグネスチャンとか小林亜星などが委員となって決めたのでした―東京の山手線などを「E電」と呼ぶと。iPXXとか「i」が付く名前が増えたように、「e何とか」のノリと一緒の発想でした。しかし、思えば「電気ブラン(デンキブラン)」という名称の酒は明治とかです。古い話の蒸し返しで「E電」と聞いて思わず鼻白みました。(はなじろむ…とはどういう鼻の状態か…これはまた別の話題「慣用表現の怪」)。

 プロ野球も再開しましたが、ファイターズの現在の本拠地である札幌ドーム、かつて名称を公募して選ばれたのが「ヒロバ」とかです。誰も使わないうちに消え去りホッとしたものです。札幌駅から大通公園に向かう地下歩行空間(少し広いので「空間」として威張った感じがあります)、これも名称を公募して「チカホ」となりました。若者が普通に言いそうな言葉なので、まあそれで良いのかもしれません。
 それにしても、最悪は学者先生様達の名付けです。あの美味なるウニ・ガンゼを何と「馬糞雲丹(バフンウニ)」―。芳香がかぐわしい初夏のアカシアを何と「ニセアカシア」と命名されたのです。せめて丸雲丹とか、キタアカシアと名付けられなかったのかー。骨粗鬆症(こつそしょうしょう)もその手の名称ですね、せめて骨少々とか…失礼。
 そうした愚かしい批判はともかく、名前の付け方で現実が変わる・動くという社会学的な実態があること、名称に基づいて人は行動するという心理学的実態があるため、名称・呼び方には注意しないといけないと思っています。
 名前を与えると差異化されます。他の何かや誰かと違うことを社会的に公言したことになるからです。(社会的な有徴化)
 NHKの言葉狩り―、いわゆる差別的表現を使わないということで「言葉の世界を貧困化する」と批判されますが、公共放送らしいので、悪意の解釈につながらないような警戒感があることだけは良い点だと思います。
 以前、古い建物だった時代の札幌「コンカリーニョ」にて、古典落語を聞きました。身体的な障害に関わる放送禁止用語の三名だったかが互いに相手の弱みを助け合いながら旅をする…という内容でした。差別的とされる禁止用語で語られる古典落語の凄味が骨身に染みた記憶があります。
 ずいぶん前に亡くなりましたが、私が小さい頃に世話をしてくれた、背中が曲がった叔母のことを思い出していました。子どもの無邪気さで「あのね、セ×シと言うんだよ」と言おうとした途端に母の目配せを感じて、口を噤んだ(つぐんだ)のでした…。遠く重い記憶です。