電卓・根付けとトランジスタ― 「小ささ」の日本文化2020年03月19日 00:02

『「縮み」志向の日本人 』李 御寧 (イ・オリョン), 1982年
今から38年も前に出版された本だったんですね。確か当時のベストセラー。

家に立て籠もっていると、チマチマした小さなことに眼が行きがちです。狭いところで窮屈にしていると、人だけではなくネズミさん達もフラストレーションで互いに攻撃したりする…という研究を読んだこともありましたし。
 新型コロナウィルスでの立て籠もりで、ふだんはどうでもいいような「電卓」の話を書いているうちに思い出したのが、上の「縮み志向の日本文化」の本でした。なかなか面白い内容なのでネタバレにならないといいのですが、全然書かないわけにも行かず…。

 少し内容にふれてしまうのでどうぞご注意下さい―。

基本的な主張としては、目線がどんどんと小さい方、細かな方に向かうのが日本文化だ…という論点です。
「東海の小島の磯の白砂に われ泣き濡れて蟹とたはむる」
(石川啄木『一握の砂』から)
昔、よく読んだ短歌ですが、地球を宇宙から眺める視点から急速に焦点を絞って、一気に東海の小島へと収れんし、そして砂浜の蟹へとズームアップする流れに、視線の鋭さと細かさが見てとれます。
一寸法師の話題もあったと思いますが、韓国にはない「小さきもの」へ向かう眼差しということです。
 文化的には、江戸時代の「根付け」(印籠などにつける象牙などでできた小さなアクセサリー)、ガラケーやスマホにつけるアクセサリーなどもそうだろうし、あるとき、日本の首相は「トランジスター(ラジオ)のセールスマン」と揶揄されたりなど。
 精神としては、鎖国して長く続いた江戸時代の狭さの中に取り籠められた一種の拘禁反応…といえます。戦略性の乏しい近視眼的な見方ということならば、今のコロナ対応にもあてはまりそうです。
ちなみに、ビッグデータをAI解析しようという時代に、電卓の話…ですからねえ。

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