★ふと…「3」という数字のこと。 三体問題・三人寄れば… ― 2024年01月24日 09:39
去年、4千円で買った新品の型落ちスマホですが、事情があってその後継機種をオンラインで3万円ほどで買ってしまいました。ここ数日、機種変更で作業に追われながらも、Androidの機種変更はかなり簡単にできるようになっていて(LINEの移行も!)助かりましたが、何とかポイントや銀行やらクレジット関係などは再登録の嵐でした―。
○「三人寄れば文殊の知恵」・「三体問題」って…。
「一者性・二者性・三者性」というのはアメリカの哲学者C.S.パースが唱えた言葉ですが、「一人」「二人(私と相手と)」「三人」と考えると、「三人から社会である」という社会学者の理解とも重なりますね。「二人」だと「相手と私」だけですが、三人になると「結託」― 誰かと誰かがつながって残りの一人がはずされる…という構造が出てくるためですね。
「二人で話していても、両者がすぐに納得・了解してしまいそう」ですが、そこに第三者がいれば「…それ、違うんじゃないの?!」と混ぜっ返してきそうです。これが「三者性」とつながるらしい…。
※パースは「演繹」「機能」といった推論の第三形式として「アブダクションabduction」を唱えた哲学者でしたが、生涯のほとんどを測量技師として過ごして孤独死した哲学者です。
「三体問題」は、宇宙に三つの太陽(球体)があったとき、A,B ,Cがどのように動いてどれがどの球体の周りを回り出すか…。それは、非常に微細な違いによって様々なパターンが生じるので「実際にどうなるかは分からない」(数式的に結果が不定…)といったような話だと聞きました。
その中には、第三者的な要因や要素が無数にあるので、一つ一つの状況において「正しい方法は確定できない」ようだと考えることにしています。「正解はない」という言い方があてはまる人間界では、その都度、苦労して何とかするしかない!というのが、私の素人的解釈となりましたっ。
C.G.ユング、「非因果的共時性(シンクロニシティ)」を唱えましたが、彼は「4が完全数…」ということを言っています。
現実の諸々のどうしようもなさの中で生活していると、ふと、理念的で抽象的世界へと意識が引っ張られるのでした…。
○「三人寄れば文殊の知恵」・「三体問題」って…。
「一者性・二者性・三者性」というのはアメリカの哲学者C.S.パースが唱えた言葉ですが、「一人」「二人(私と相手と)」「三人」と考えると、「三人から社会である」という社会学者の理解とも重なりますね。「二人」だと「相手と私」だけですが、三人になると「結託」― 誰かと誰かがつながって残りの一人がはずされる…という構造が出てくるためですね。
「二人で話していても、両者がすぐに納得・了解してしまいそう」ですが、そこに第三者がいれば「…それ、違うんじゃないの?!」と混ぜっ返してきそうです。これが「三者性」とつながるらしい…。
※パースは「演繹」「機能」といった推論の第三形式として「アブダクションabduction」を唱えた哲学者でしたが、生涯のほとんどを測量技師として過ごして孤独死した哲学者です。
「三体問題」は、宇宙に三つの太陽(球体)があったとき、A,B ,Cがどのように動いてどれがどの球体の周りを回り出すか…。それは、非常に微細な違いによって様々なパターンが生じるので「実際にどうなるかは分からない」(数式的に結果が不定…)といったような話だと聞きました。
その中には、第三者的な要因や要素が無数にあるので、一つ一つの状況において「正しい方法は確定できない」ようだと考えることにしています。「正解はない」という言い方があてはまる人間界では、その都度、苦労して何とかするしかない!というのが、私の素人的解釈となりましたっ。
C.G.ユング、「非因果的共時性(シンクロニシティ)」を唱えましたが、彼は「4が完全数…」ということを言っています。
現実の諸々のどうしようもなさの中で生活していると、ふと、理念的で抽象的世界へと意識が引っ張られるのでした…。
by kasait [統計法と確率] [社会・社会学・心理学・文化] [つれづれに] [コメント(0)|トラックバック(0)]