★欲望のレベルを下げること・上げること― 小さなコトで喜ぶ気持ち2024年01月18日 10:29

このところ、地震被災や過去の自動車事故などについて書いています。
 先日、オンラインで仲間内で話しているとき、あらためて感じたことが「欲望のレベルを下げる」とか「基準を下げる」などに関わる内容でした。

○全ての希望をなくすと、あらゆることが素晴らしいことになってしまう…
 といっても、私のような只の高齢男児の話ではなく、「アッシジのフランチェスコ」のような聖人のお話です。昔、「所有物をすべて放棄して、無一物・無私有となったフランチェスコ…」のことを知ったときは衝撃が走りました。うろ覚えですが、港町にうずくまっていたライ病患者に、ふと接吻をしてしまった…といったあたりから、無私物・無私有の考えへと陥り…という人。後にキリスト教の聖者に列せられました。
 これは極端な例ですが、「欲望ゼロ…」のところにいると、「あらゆることが全て恩寵」となります―。

 そうした聖者のレベルには縁もゆかりもない私ですが、さすがにその凄さは感じます。それにほんの少しだけ触発されて、「何々があって、ああありがたい」「何々にならなくて、ああーありがたい」という低レベルでのところで、よく有り難がって生活しています。「雪が降ると、あまりにも美しくて端正で、そんな体験ができてアリガタイ」。「大雪が降って、除雪しないといけなくて…。久しぶりに本気で汗をかいて動けて大変だけれどね、終わると あー頑張ったと思えるのがアリガタイ」「ああ、アリガタイ」
 まあ「アリガタ教」、ですかねー(^_^v。説明は省きますが、これは厳密には「ボジティヴ思考」とは違います!理由はそのうち、「自己欺瞞(ぎまん)療法」の話と一緒に書いてみたいと思っています。

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