コロナ禍― 遠くなる記憶をブログに書いておく2020年07月10日 13:33

2月、3月の雪まつり、冬祭りあたりから北海道は感染拡大しました。ちょうど定年退職直前の冬の終わり頃でした。何とはなしに、コロナ禍の記録を個人的に残しておこうと思っていました。阪神淡路大震災があったときに初めてPTSDという言葉が登場してきました。東日本大震災のときに原発爆発事故が起きましたが、数年もしないうちに記憶が風化していきました。「原発は安全で事故の可能性は数万年に一回…」と長年吹聴されていましたが、スリーマイル島原発事故、チェルノブイリ原発事故、そして二つの原発が水素爆発した福島原発…。20-30年に一回と高い頻度で過酷事故が起きています。すべて人災…。しかし、記憶は風化…。自家発電もあり、異なる5系統からの電源供給があるので「絶対に停電しない」と宣っていた福島原発でしたが…。
 スリーマイル島原発事故のときに現地に入った日本人が記録を残しています―事故直後、現地の人たちが口々に「口の中が金気くさい味がした…」。こういう記録は歴史の中にどんどんと消えていきます。
 このASAHIネットのブログがどの程度続くシステムなのかは不明ですが、年と共に自分の記憶も怪しくなることが気になり、今のコロナ禍について書いておくことにしました。自分のブログをパソコンに残しておいて、後で読めるようにするつもりです。
 サイトの記事は凄まじい勢いで提示されてすぐに消えていきます。10年以上も経過して後から探すことができるのは、本や書類等に刻印された事柄だけで、それ以外はサイトで検索しても出てこなくなります。
 昔、レーザーディスクという大きなレコードサイズの動画ディスクがありましたが、プレイヤーがなくなり再生困難に。アナログ8mmもデジタル8mmも読めず、ソニーのβはとっくに消え、VHSテープも同じ運命に。CDやDVDなどの媒体も数十年はもたずにデータが消える…。
 高齢の母は何回か転倒した後、加齢による老化の影響も大きく、徐々に記憶が怪しくなってきています。20世紀終わり頃から21世紀は、「記録が残っていない暗黒の時代」として、後世からは呼ばれることでしょう。どちらも、健忘の時代として重なり合っていますね。残るのはどこかのサーバー内にある、国家などの統治機関内の個体識別と個人の社会情報データのみ。
 空を見上げ山々を眺め、木々や花々を愛で、静かに歩いて行きませふ。

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