ネーミング・名付け― 特徴だとしてそれを言葉にすること2020年06月27日 09:37

6/24に接触確認アプリのネーミングの悪口を書きました。たまには悪口の一つも言っておかないと…というところです(^_^v。
 正確に言えば、「実態とつながらない名称・ネーミングは認識を歪める」からで、理屈としては一般意味論ならびに多元的現実論に基づく判断です。まっ、それはそれとして…。
 「E電」…。イーデンと読みますが、アグネスチャンとか小林亜星などが委員となって決めたのでした―東京の山手線などを「E電」と呼ぶと。iPXXとか「i」が付く名前が増えたように、「e何とか」のノリと一緒の発想でした。しかし、思えば「電気ブラン(デンキブラン)」という名称の酒は明治とかです。古い話の蒸し返しで「E電」と聞いて思わず鼻白みました。(はなじろむ…とはどういう鼻の状態か…これはまた別の話題「慣用表現の怪」)。

 プロ野球も再開しましたが、ファイターズの現在の本拠地である札幌ドーム、かつて名称を公募して選ばれたのが「ヒロバ」とかです。誰も使わないうちに消え去りホッとしたものです。札幌駅から大通公園に向かう地下歩行空間(少し広いので「空間」として威張った感じがあります)、これも名称を公募して「チカホ」となりました。若者が普通に言いそうな言葉なので、まあそれで良いのかもしれません。
 それにしても、最悪は学者先生様達の名付けです。あの美味なるウニ・ガンゼを何と「馬糞雲丹(バフンウニ)」―。芳香がかぐわしい初夏のアカシアを何と「ニセアカシア」と命名されたのです。せめて丸雲丹とか、キタアカシアと名付けられなかったのかー。骨粗鬆症(こつそしょうしょう)もその手の名称ですね、せめて骨少々とか…失礼。
 そうした愚かしい批判はともかく、名前の付け方で現実が変わる・動くという社会学的な実態があること、名称に基づいて人は行動するという心理学的実態があるため、名称・呼び方には注意しないといけないと思っています。
 名前を与えると差異化されます。他の何かや誰かと違うことを社会的に公言したことになるからです。(社会的な有徴化)
 NHKの言葉狩り―、いわゆる差別的表現を使わないということで「言葉の世界を貧困化する」と批判されますが、公共放送らしいので、悪意の解釈につながらないような警戒感があることだけは良い点だと思います。
 以前、古い建物だった時代の札幌「コンカリーニョ」にて、古典落語を聞きました。身体的な障害に関わる放送禁止用語の三名だったかが互いに相手の弱みを助け合いながら旅をする…という内容でした。差別的とされる禁止用語で語られる古典落語の凄味が骨身に染みた記憶があります。
 ずいぶん前に亡くなりましたが、私が小さい頃に世話をしてくれた、背中が曲がった叔母のことを思い出していました。子どもの無邪気さで「あのね、セ×シと言うんだよ」と言おうとした途端に母の目配せを感じて、口を噤んだ(つぐんだ)のでした…。遠く重い記憶です。

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